🔍 日本神話の謎に挑む『古事記』の訳
「正五位上・勲五等の太朝臣」とは? この時代の貴族は、大宝律令(701年)で定められた、[正一位]から[従八位]までの官位を名乗ってました。 この[正一位]は、とんでもない官位なので、これを名乗れた人は歴史の中でも限られます。 [正五位]のマロっちゃんは、貴族階級の中で見ても、結構高めの地位。 ちなみに[勲五等]は、軍隊みたいな、勲章制度の階級を示しています。 ・ ・【古事記・原文と直訳】於焉 惜舊辭之 誤 忤正 先紀 之 謬錯 以 和銅四年九月十八日 詔臣 安萬侶 撰錄 稗田阿禮 所誦之 勅語 舊辭 以獻上者 謹隨詔旨
於焉 古き言葉(旧辞)の誤りを惜しむも 正しい紀を誤る過ちは 避けんと努めしに 和銅四年の 九月十八日 詔により臣 安萬侶に命じられしは 稗田阿禮が 誦じたる勅語の古辞を撰録し 献上することなり 謹んで詔旨に従いたし
子細 採摭 然 上古之時 言意 並朴 敷文 構句 於字 即難已 因訓 述者 詞 不逮心 全以音 連者 事趣 更長 是以今或 一句之中 交用 音訓 或一事之內 全以訓錄 卽辭理叵見 以注明意 況 易解 更非注
詳細に採文し 然るに上古の時における 言葉と意味は共に素朴なり 文字を以て文を繁り 句を組むこと 既に困難なり 訓を述べし時 その詞は心に響かず 音によりて綴りしとき 事の本旨は尚 長大となれり 故に今 一句の中に音訓を交え用い 或いは一事を訓だけで記すもあれど 即ち辞理解き難く 意を明するは 容易にあらず 更に注を加えるは適さざるなり
亦於 姓〝日下〟 謂〝玖沙訶〟 於名 帶字 謂〝多羅斯〟 如此之類 隨本不改 大抵所記者 自 天地開闢 始 以訖于 小治田御世
また 姓においては〝日下〟を称し〝玖沙訶〟と記し 名に帯びる字は〝多羅斯〟と称す しかる類 元本に基づいて変わらず 概ね記されたるは 天地開闢の始まりより 小治田の御世に至るまでの事なり
故 天御中主神以下 日子波限建鵜草葺不合尊 以前為 上卷 神倭伊波礼毘古天皇 以下 品陀御世以前為 中卷 大雀皇帝以下 小治田大宮以前為 下卷 并錄三卷 謹以獻上
故に 天御中主神以下 日子波限建鵜草葺不合尊 以前を上卷とし 神倭伊波礼毘古天皇 以下 品陀御世以前を中卷とし 大雀皇帝(仁徳天皇)以下 小治田大宮以前を下卷とし これら三卷を並べて録し 謹んで献上いたす
臣安萬侶 誠惶誠恐 頓首頓首 和銅五年 正月廿八日 正五位上 勳五等 太朝臣安萬侶
臣 安萬侶 誠に恐れ多く 恐縮の念に堪えず ここに頭を垂れ奉る 和銅五年(712年)……
なんか表現が古くありません? 私の頭では、意味がよくわからないです…… |
マロっちゃんこと 太安万侶 が、今から編集後記を語りますわ。『古事記』まとめるの、ごっつー苦労したで。
『先代の記録史』(旧辞)を訂正するのは気が引けるけどな、せやけど、間違い書くわけにはいかんから、 和銅四年(711年)9月18日 マロっちゃんと稗田阿礼が陛下に呼び出し食らってな『先代の記録史』を阿礼の語る『口伝伝承』と比べて、新たなカタチにまとめ直すことになったんや。謹んで、その命に従ったわ。
細部にわたって、いろいろ言葉選んだけどな、もうわけわからん。 昔の人の書、幼稚な文すぎて、子どものメモ書きレベルや。 文字で書くと、えらい冗長になんねん。詩文の形にすんの、最初から無理や。 せやけど、訓字で書くと、元の字 示すニュアンス再現できへん。 したら、話し言葉で記録すりゃええ思うやんか。アカン。ごっつー長くなる。 しゃーないから、音訓交えて言葉選んだけどな、うまくいったかわからへん。 正確に書くのしんどいし、注意書き入れすぎんのもごった煮や。
あとあれや。姓の説明な。 日下と、帯はこう書いたわ。 てなわけで『先代の記録史』に基づいて、いい感じにはまとめたさかい。 この記録の範囲は、天地開闢から、ちょっと前の推古天皇(小治田の御世)までな。
どんな感じまとめたか言うとな、天御中主神から始めてな、 日子波限建鵜草葺不合尊に至るまでが上巻や。 (彦 葉切り 建け産み 茅葺き 会えずの 帝) 誰か分からんて? 山幸彦。神武天皇の父や。 そんで、我らが大王様、神倭伊波礼毘古天皇(神大和言われ彦)から、品陀の御世に至るまでが中巻やな。 下巻は、大雀皇帝(仁徳天皇)から、小治田大宮の推古天皇までや。 これら三巻を丹念に編纂してな、敬意を込めて献上させてもらいますわ。 もうマロっちゃん、深く恐れ多大な敬意を表し、地べたにヒタイすりつけて、奉納いたしますわ。
和銅五年の正月二十八日 正五位上・勲五等の太朝臣… 安万侶
🎓 『古事記』を理解する、分かりやすい解説
編者のマロっちゃんは、『古事記』の序文の中で再三、稗田阿礼 のことを必要以上にアピールしている。 彼の語る『口伝伝承』を文字おこししたと。何度も。 ところが、前後の文をよく読み込むと、本当は『先代の記録史』(帝記・旧辞)を見ながら・ 幼稚なメモ書きを、立派な形へ魔改造 ・ 先代の記録史を、詩的な文へ変換 ・ 先代の記録史の誇張や英雄伝説は、ある程度カット ・ 稗田阿礼の語る口伝伝承、参考にした
太安万侶 による手直しが大胆になりすぎて、『先代の記録史』を拡張・魔改造しすぎてしまったから、それを隠す意図もあったのでは??
『古語拾遺』は、平安時代の初期に、斎部宿禰廣成が時の天皇に書いた手紙だが、その中に『先祖の古文書』も、貴重な資料として添付していた。 この『先祖の古文書』こそ、太安万侶の語る、幼稚すぎる『先代の記録史』のひとつなのだ。