🌏 歴史と『日本神話』をぶつけるとどうなる?


前回からサクッと100年経ちました。

ここからは 紀元前400年代 の日本のお話です。

  ・ 
  ・ 

この頃の日本は「弥生時代」として、大陸の『敗退諸侯国』のエリート達の逃避先になってました。

最初の王族が定住化に成功した後なので、他のエリート達も後に続きやすくなり、一番最初に来たグループに比べて、同族のネットワークがある分、日本を目指す敷居が低くなりました。

こうして、日本は徐々に大陸のエリート達による、アメリカ西海岸、ゴールドラッシュの地として、少しずつ人気を高めてきました。


📺 紀元前400年代の日本&中国

    日本 中国
特徴紀元前400年頃の日本は、弥生時代に入りました。先のエリート族の流入の影響で、日本は大きな転換期に入りました。同時期の中国は、春秋時代からの移行期です。この頃は戦国時代の始まりでもあり、諸侯国しん、韓、魏、趙、燕、楚、斉)同士が激突し始めます。
争い ・ 交易先の、中国国内の動乱を受け、国外脱出組が続きます。朝鮮半島や中国との交易もさらに活発になり、文化や技術の交流が進みました。戦争と外交により、国々の領土が毎回変動していました。敗れたエリート族たちは国を追われ、朝鮮や日本などに逃げこみます。
技術彼らの影響で、農業技術のほか、織物や木工などの技術も進展してきました。弥生時代の象徴となる、高床式建築の建物もスタート。多くの都市が成長し、商業や手工業が発展しました。
農業技術の進歩と鉄器の普及により、経済が発展しました。
社会 構造彼らの影響で、集落単位の社会組織に階層化が進みました。権力を持つエリート集団が地元民の上に立ちました。諸侯国では各国が中央集権体制を強化し、効率的な統治を目指しました。特にしんは法律と秩序が厳格でした。
宗教埋葬方法に変化が見られ、大型の墓制が登場しています。彼ら王族の墓です。孔子が亡くなった後、倫理、道徳、社会秩序を重んじる儒家思想が形成され、後の中国社会に影響を与えました。
日本にやって来た彼らは元々、中国の中でも上位1%のスーパーエリートばかりでした。 陸路で逃げるグループより、海路で逃げるグループの方が、逃亡の本気度は高くなるわけですから、逃亡先に日本を選んだグループほど〝王族級〟の人たちばかりとなる。 だから、気に入った土地に降り立った後は、そこを定住の場に決めて地方部落の長になりました。 これが、弥生時代が集落単位の階層化になった理由です。 ただ、敵対的侵略ではなかったようですよ。 うっかり争い事を起こしてしまったら、労働力がなくなり共倒れになりますから、まずは融合。 権力を振りかざすのではなく、自分たちの周囲の食糧事情を安定させることを最優先に、せっせと持ち込んだ文化や技術を地元民に教え込んで、共存共栄を図ったのです。 なので、意外に土地の者には優しかった。 ヨーロッパの帝国主義や植民地支配と違って、現地に溶け込み共存共栄を図ったことで、少しずつ土地の人口も増え、結果として日本の国力も増してきたのでした。 NEXT紀元前300年代の日本&中国




対面Session



Amazon



SNS