🎬 『カタカムナの歴史』 カタカムナの謎と起源を追う


このページでは 『カタカムナの歴史』『カタカムナの謎』 2つの解説を、発見者である楢崎皐月ならさき・さつき氏の 一人語り小説風に、まとめています。 ならさきさつき 舞台は、太平洋戦争前後の日本。 長い間、日本の歴史から完全に忘れ去られ、小さな神社のご神体としてひっそりと保管されていた『カタカムナ』の巻物。それを奇跡的に、楢崎皐月が発見したときのお話です。   ・    ・  この楢崎氏の視点を通して、歴史の舞台裏で偶然起こった奇跡をお伝えします。彼自身の謎めいた人生にも光が当たり、彼の人物像にも興味を引かれるかもしれません。 もちろん、事実に基づいた形になるよう、複数の資料を付き合わせながら書きましたので、読み進むウチにアナタもきっと『カタカムナ』の謎に迫れる興奮を感じることでしょう。 それでは、『カタカムナの歴史』『カタカムナの謎』両方の解説をお楽しみください!

📺 カタカムナとの出会いは、偶然の奇跡だった!

ならさきさつき

私の名は、楢崎皐月(ならさき・さつき) 多くのところで、(こうげつ)と誤記されているが、本当の読み方は(さつき)が正しい。

今の世の中での私は 『カタカムナ』 という古代文献を発見し、『カタカムナ』 を世に広めた人として知られているが、元々は科学の道に生きていた研究者だった。 それも、周りからは一目置かれるほどの存在だった。 若い頃に 『特殊絶縁油』 の開発に成功して、ちょっとした注目を浴びたこともあるので、この分野に詳しい人なら、科学者としての私の功績も知っているかもしれない。 だが、今の世の中での私はすっかり 『カタカムナ』 という古代文献を発見した人として知られている。 人生の前半を科学に捧げてきた私としては、まさか人生の後半がこのような形になるとは夢にも思わなかった。 皆が興味がある私の話は、『カタカムナ』との出会いのエピソードだろう。 しかしその前に 『カタカムナ』 につながる昔の話があるので、ちょっと話をさかのぼらせてほしい。   ・    ・ 

📺 科学者としての楢崎皐月

私の若い頃の話だ。 私は若い頃、旧制中学校を卒業してすぐ、志願兵として陸軍に入隊した。 とはいっても、戦争に興味があったわけではない。人一倍の愛国心はあったが、入隊した一番の動機は、軍の先端技術に触れたかったからだ。研究がしたかった。 だが私は、入隊早々、少尉の立場のまま、一度軍を離れることになる。 エリート生として先端技術を学ぶため、日本電子工業に入社して、働きながら電気専門学校に通うことになったためだ。 その甲斐あって、若干20歳の時には、私は日本石油と契約し、それから数年後の昭和10年頃だろうか? 私は『特殊絶縁油』の開発に成功し、科学界でも注目を浴びる存在となった。 私の専門はそこから、人造石油精製に傾いた。 地球の環境を守るための、天然資源に頼らないエネルギー源の研究だった。 そして昭和15年、大日本炭油工業からお呼びがかかり、亜炭を原材料とする人造石油精製の研究を始めることになった。 まだ車すら珍しかったこの時代に、私はこのような、先端技術の研究をしていたのだ。 そして、夢中で研究を続けるうちに、私もいつしか40代となった。 周りからの評価は、科学のエリートにしては、熱烈な愛国思想で、皇国史観にはまり込んだ人間。しかも、主張し始めたら後に引かない頑固さとのことだった。 どうやら私は、周りにそのように思われていたようだ。 だがそれは、後に『カタカムナ』と私を結びつける、ひとつの伏線だったのかもしれない。

📺 満州で聞いた『アシア族』日本の高度文明の話

昭和16年。私は再び軍に呼び戻された。 例の、太平洋戦争はまだ始まる前だったが、「そろそろ始まりそう」という緊迫感は肌で感じ始めていた。そのタイミングで私は軍に呼び戻されたのだ。

私は科学の専門家だったので、中国満州の陸軍大陸派から呼ばれ、中国満州の陸軍製鉄技術試験所長に赴任した。 戦争前から私は満州に飛んだのだ。 満州は不思議なところだった。中国の中でも北東の土地だったので、人々には独特の風習がある。 その土地で、『カタカムナの古代文明説』とつながる、ひとりの老人と出会う。 開戦前の田舎の土地だったので、まだ土地には穏やかな空気が残っていた。

異国の地でうまく仕事を進めるには異文化交流も大事だと思っていた私は、土地の人が信仰する道院 娘々廟 にゃんにゃんびょうを訪ねてみた。

その土地の宗教観、歴史観がどんなものか? を確認するためだったが、廟の道士蘆有三らうさんから勧められた茶を見たときに驚いた。 いや、驚いたのは『茶釜』のほうだった。この『茶釜』が、なんとも不思議だったのだ。
 ・ 道士が水を『茶釜』に入れた  ・ 数枚の枯葉に火をつけた
それだけである。 たったそれだけなのに、いきなり『茶釜』の湯が沸騰しだしたのだ。 コレには驚いた。これは魔法の『茶釜』なのか?? 中国四千年の秘法か?? いったいどのような原理でこうなってる?

研究者の血が騒いで、気がついたら「研究のためにその茶釜を譲ってほしい」と申し出ていたが、さすがにそれは断られた。

だが、道士は驚くべきことを私に語った。 この茶釜は元々日本で作られたものだという。日本? 我が国? 道士が語ったところによると……
古代(縄文時代)の日本には、アシア族という高度文明を持つ人々がいて、彼らは八鏡文字を編み出し、優れた生活技法を作りあげていた。この魔法の『茶釜』はそのアシア族の技術で作られたものなのだと。 アシア族の技法のいくつかは、海を越えて中国にも伝わった。それがのちの『黄河文明』(四大文明の1つ)の元となったのだと。
話を総合すると、世界の四大文明の一つ『黄河文明』よりも先に、日本にはそれをはるかに上回る高度な文明が存在していたことになり、ユーラシア大陸の東部一帯のことを指す『アジア』の語源も、日本のアシア族が元になっているという。   ・    ・  やがて戦争が始まった。 日本が真珠湾に奇襲を仕掛け、太平洋戦争が幕を開けたのだ。 だが、私は陸軍の技術試験所長だったので、武器を持つことはなく、鋼の製造をする軍の特務研究者として国に貢献をしていた。 戦争のことについては何も言わない。いろいろ思うところはあるが、当時は言論統制が厳しかったので、誰も本音を言えない風潮があった。

戦争が終わると私は無事に生きて帰国したが、そこでは、星製薬の社長(元衆議院議員)であった星一ほし・はじめ氏に縁があった。私は彼の要請で、戦後復興のための新しい農業技術である「植物波農法」の研究を始めた。

この研究がキッカケとなり、私はいよいよ、『カタカムナ』と出会うことになる それは、1949年の冬のことだった。
私の研究チームは、数人で兵庫県六甲山の金鳥山山頂付近の狐塚に寝泊まりしながら、大気中の電子測定をしていた。大地から環境電気を取り込んで、エネルギーを取り出せないか? という研究をしていたのだ。
数日後、私の研究チームの前に『招かれざる 謎の老人』が現れた。

「お前たちはここで何をしている?」 「標高の高いところで、大気測定の実験をしています」 「すまんがやめてもらえないか? 動物たちが迷惑していて、様子がおかしいんだ」

話を聞くと、その謎の老人は猟師で、ここ数日間の動物たちの異常を不審に思い、山頂付近まで偵察にきたそうだ。 小説であれば、ここで私が断り、その夜から立て続けに 『謎の事件』 が起きるという流れである。『招かれざる 謎の老人』は怒らせてはいけない人物だったのに……と。   ・    ・  だが、『事実は小説よりも奇なり』 私は、アッサリ要求を受け入れた。 研究のためにわざわざ機材を運び込んで、今日まで冬山で数日間、寝泊まりをしていたのにである。 それだけの準備をし、大気中の電子測定もまだ実験の途中であったのに、アッサリ要求を受け入れたのである。 仲間は驚いていたが、なぜか私は、その要求をスッと受け入れていたのだ。 驚いたのは、私の仲間だけではなかった。謎の猟師本人もまた、アッサリ要求が通って拍子抜けしたのだろう、それ以後、私たちのことを気に入ってくれて、自分のことを語り始めた。 悪い男ではなかった。

謎の猟師は、自らを平十字ひら・とうじと名乗り、自分は近くの『神社』保久良ほくら神社)の宮司の子孫で、貴重な宝物を持っていると語った。

宝物とは、どんなものか? と質問すると、「その目で見た方が早いだろう。持ってくるからそこで待っていろ」と取りに出かけた。 もうお気づきだろう!

この宝物こそが『カタカムナ』の巻物で、この瞬間こそが、私と『カタカムナ』との出会いだったのだ。

  ・    ・  謎の猟師の平十字ひらとうじとの出会いは、神のシナリオのような偶然だった。
この山で大気測定をしてなかったら、この金鳥山に入ることもなかったし、仮に測定をしたとしても、動物たちが普段通りだったら『招かれざる 謎の老人』がわざわざここに訪ねてくることもなかった。
いくつもの偶然が重なって、私は『カタカムナ』に出会うことになった。 この『カタカムナ』との出会いが、神によって計画されていたストーリーなのだとしたら、今私は、その物語の主人公の立場として、『カタカムナ』の巻物を見ることになる。 平十字ひらとうじは、古い巻物を持って戻ってきた。 それは見たところ、江戸時代初期の和紙の巻物で、渦巻き状に丸と十字を基本にした図形が、毛筆で描かれていた。

『カタカムナ』 全80首の意味−第1句の解説

このような、文字とも絵ともわからない不思議な書体は初めて見る。 いったいこれはなんなのか? 私が尋ねると平十字は、 「この巻物は『保久良神社』が代々大切に守ってきたご神体で、このカタカムナの神を祀ったのは、古代日本のアシア族であり、その頭領がトウアンだった」と語った。 古代日本のアシア族…… 私はこの話を聞いた瞬間、満州で出会った道士の言葉を思い出した。
道士が言っていた、古代日本(縄文時代)の、アシア族という高度文明を持っていた人々とは、このことではないか?
すると、彼らが編み出した 八鏡文字 とは、今目の前にある、文字とも絵ともわからないコレのことではないのか? 私は、巻物を貸してほしいと願い出たが、当然のごとく断られた。 しかし、筆写であれば問題ないと言われたので、仲間たちは先に帰して私だけが塚に残り、約3週間かけて全てを書き写したのだった。 それが私と 『カタカムナノウタヒ』 との出会いだった。

📺 科学者としての楢崎皐月

元々は科学者だった男が、兵庫県の山で大地の電気を測量していたら、山で 謎の猟師 に出会った。 そして男に見せられたものは『カタカムナ』の巻物(江戸時代に写された写本)だった。

実際、『カタカムナ』の巻物には異常なほど興奮したし、約3週間かけて全てを書き写し、5年以上かけて自力であの文字を解読したのも私だった。 1949年の冬に初めて『カタカムナ』と出会い、完全解読を終えるまでに5年以上かかったわけだから、『皇国史観にはまり込んだ人間』というあの評価も、その通りなのかもしれない。 実際に私は、『カタカムナ』の影響で、考古物理学と古事記の研究までも本格的に始めているし、『日本神話は世界最高の学問文化である』・『直感一号』・『古事記の解読法』などの書籍も執筆している。 『カタカムナ』の解読後、これは大変な発見だ! 『カタカムナ』は考古物理学の知識を伝えている! と興奮した私は、『カタカムナ』関連の研究成果を学会で発表した。 結果はどうだったか? あまりいい反応は得られなかった。
『高度なカタカムナ文明があった』と主張しているのに、その証拠となる遺跡がないのはおかしいのではないか?
神社のご神体とされる巻物は、結局現物が出てこない。この話は創作ではないと言い切れるのか?
『縄文時代の文明』と主張するのに、『カタカムナ』の文字は、『片仮名』カタカナと同じ特徴も持つ。時代考証からすると、おかしいのではないか?
『カタカムナ』の中に『古事記』の神名が頻繁に出てくるが、これについてはどう考える?
『カタカムナ』の詩が、奈良・平安期の5.7調の特徴を持つのはどういうことか?
など、『世紀の大発見!』と諸手をあげて歓迎されるどころか、逆に反対意見に打ちのめされてしまった。 しかし私はすでに、『カタカムナ』のとりこになっていた。 なので自分で『カタカムナ』を広めるグループを立ち上げ、
古代日本(縄文時代)には、アシア族という古代文明を築いた一族がおり 『カタカムナ』は、縄文時代の古代文明。 そして、『カタカムナ』の訳を一文字ずつ解読した結果、これは高度な文明と物理の法則を解説しているのではないか?
という解釈を、グループ活動を通して世の中に広めていった。 ※ 楢崎氏の主張 (出版物より)

表音文字の特徴を持つ図や記号は、4つの異なる意味を持つ記号です。 これは、言葉や語の意味を表す文字であるとともに、物理的な意味を説明する図象記号でもあります。 また、数学的に変換される意味もあり、抽象物で示した抽象の意味を説明する記号でもあります。

NEXT楢崎氏の主張の根拠は、竹内文書なのか?