🕰 西暦1〜99年頃の世界史の解説
キリストが生まれてからどのくらい経った?
それが西暦です。
なのでそれ以前が『紀元前』、それ以後が『紀元後』になります。
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✦ この頃のローマ帝国はどんな感じ?
クラウディウス帝のもと、どんどん領土を広げてました。
この時代はローマの平和(パクス・ロマーナ)の時期で、帝国内はわりと穏やかで安定していました。
✦ ローマ帝国とキリスト教の関係は?
この頃はまだ、地域社会に対する影響は小さな存在でした。
当時のローマ帝国内は、様々な神々が崇拝される多神教が主流で、神話や伝説も花開いていたので、『絶対神』を主張するキリスト教の考え方は、なかなか受け入れられなかったのです。
イスラム教は、まだ誕生前です。
✦ 同時代のインドはどんな感じ?
いくつかの地域王国が存在していました。
インドでは仏教とヒンドゥー教がどちらも広まり、多様な文化と哲学が花開いてました。
この時代には、名前の発音が特徴の〝アショーカ王〟が仏教を広め、インド全土に影響を与えました。
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世界各地の状況は、各地で異なる宗教が花開き、都市部では農業、工芸、建築などの技術が発展していました。
ちなみに、この時代の世界人口は、およそ2億人弱と推定されています。
さて、同時代の日本と中国は?
📺 西暦1〜99年(1世紀)の日本&中国
| 日本 | 中国 |
特徴 | この時代の日本は、弥生時代後期にあたります。まだまだ国家と呼べるものではなく、弥生時代の日本は、小さな集落社会がそれぞれの地域に点在していました | 同時期の中国は、光武帝による後漢が建国。首都は洛陽。後漢は中央集権で地方の豪族の力を抑えましたが、そのかわり宦官の力の増大を招きました。 |
外交 | 外国由来の地域豪族と、その子孫が増えたため、朝鮮半島や中国との交易が活発になり、文化や技術の交流が進みました。 | シルクロードを通じて、ヨーロッパとの貿易が盛んに行われました。文化や宗教、技術などの交流にも大きな役割を果たしました。 |
道具 | 農耕の導入と道具の使用により、農業生産性が向上し、財産の蓄積が可能になりました。 | 南方での水田稲作が発展。絹の生産が盛んに。この時代に紙が普及し、多くの重要な文献が編纂されました。 |
社会
構造 | 集落が大規模化し、社会は階層構造を持っています。首長や豪族が地域を支配しています。 | 安定した社会と農業の発展により、人口が大幅に増加しました。大都市が成長しました。 |
宗教 | 集落の中心には祭祀の場が設けられ、自然や祖先への信仰が行われていたと考えられています。これは後の神道の原型となります。 | インドの仏教が中国にも伝来し始め、宗教の多様化が進みました。 儒教が国家の公式イデオロギーとして復興しました。 |
🔍 この時代の解説
世界の歴史上、一番有名なあの人が、〝聖母マリア〟と〝大工ヨセフ〟の子として、生まれました。
誰のことだか分かりますか?
若い頃の彼の記録は、ほとんどありませんが、30歳頃から「救世主の活動開始だぜ!」と公共の活動を始めました。
彼はユダヤ地方を、12人の主要な弟子(使徒)と共に旅をしながら、説教、奇跡の行い、癒しの業などを行いました。
この地域は現在のイスラエルあたりですが、当時は、ローマ帝国の支配下にありました。
しかし、この活動が目立ちすぎたのか、ローマ当局からは脅威と見なされます。
当時のローマは〝多神教〟が主流。様々な神々が崇拝されていたので〝一神教〟を主張するキリスト教の考え方とぶつかってしまったのです。
西暦30年頃、彼は逮捕され、ローマの総督ポンティウス・ピラトによって死刑を宣告され、十字架にかけられて処刑されてしまいます。
ただ、3日後にはピンピンして復活したとか。
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イエスの死後、彼の教えはパウロ&弟子たちによって広められました。
パウロは元々、キリスト教徒を迫害する側だったのですが、ダマスカスへの道で神秘的な体験をしたことで、手の平返し! 今度はキリスト教の熱心な伝道者となりました。
彼は地中海地域(トルコ、ギリシャなど)を広く旅しながらキリスト教の教えを広めました。少しずつローマに近づいてきます。
最終的にパウロはローマに到達するのですが、それは彼が逮捕され、ローマでの裁判を求めたためです。
彼は、ローマでの捕囚生活の中でも伝道を続けました。そして、ネロ帝の迫害の時期に殉教したと伝えられています。
🔍 日本にも救世主が登場!!
この頃の日本は、弥生時代の中期〜後期です。
中国王朝はこの時代、すでにシルクロードを通して東西の文化交流を広めていたのに対し、日本は稲作文化が入ってきたとはいえ、軍の力はまだまだ『百姓一揆』程度の力しかない、田舎の国でした。
大陸の国々と違って、日本は四方を海に囲まれた島国です。
なので、異国との文化交流という点では、不利だったのです。
また、この頃の日本は、まだ統一国家ではありませんでした。
各地方ごとにその集落を支配する豪族たちがいて、小さな集落がそれぞれ「うちはうち、よそはよそ」と独立採算制でやっていた時代。
集落を束ねる偉い人が、「私がこの集落のボスだ!」と言っていた。
それが、各集落ごとに点在していた。
これが、山になった徒(集落の団子状態)ということで、それぞれの地域で独立した集落が点在している。そんな時代でした。
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田舎国だった日本が、国家として統一されるのは、ある人物の登場によって大きく変わります。
古事記の中で英雄として描かれている『神武天皇』です。
『神武天皇』が登場すると、日本の景色は一変しました。
それまでの日本の歴史の中で比類なきリーダーシップと権力を持ち、中央集権国家として、初めて国家(西日本一帯)を一本に束ねる。
ヨーロッパではイエスが外国から登場したように『神武天皇』もまた救世主として天津国から登場したことで、日本はその後、近代国家として大きく変わるのです!
西暦100年代の日本&中国