🕰 西暦100年代の世界の歴史の解説
キリストが生まれてから、どのくらい経ったのか?
それを数えたものが「西暦」です。
… 西暦100年代 …
この時代、実は日本史の中でも、重要な転換点の一つがあったかもしれません。
なぜなら……
ヨーロッパに、神の子が現れたのと同じように、日本にも、神の子孫が現れている。
『日本神話』の中の〝神武天皇の登場〟です。
一般的には、神武天皇は「紀元前600年頃の人物」とされています。
ですが、古事記の中での神武天皇の描写の記述(武器の性能や戦術の洗練度)を見ると、どうも時代が合わないのです。
神武天皇の東征では、東征の途中で、何年もかけて戦力を整えながら、広域移動(九州 → 瀬戸内 → 近畿)をした作戦が描かれています。
これは、
・ 航海技術
・ 補給
・ 軍隊の統率力
が揃ってないと成立しないもので
紀元前600年頃の人物とするなら、その行動範囲や戦い方は、もっと原始的なものであるはず。
本格的な鉄器時代より前の話なのですよね?
ところが、『古事記』の描写は違います。
時代に対してオーバースペックなんですよね。
・ 弓矢を用いた組織的な戦闘
・ 剣(鉄製武器)を前提とした接近戦
・ 船団を組んだ長距離移動(瀬戸内海ルート)
・ 複数拠点に長期滞在しながら進軍する戦略
・ 地形を利用した戦術(待ち伏せ・奇襲)
これは、縄文時代末期の単なる部族同士の衝突ではなく、もっと近代の、組織化された軍事行動の描写。
最低でも、古墳時代の一歩手前の社会段階でないと、成立しにくいのです。
『神武天皇』が伝説とされる理由は、ご存知ですか?
それは『神武天皇』の生きた時代に文字記録がなかったので、彼の存在を示す記録が、後世の〝神話系の書〟にしか登場しないからです。
これらの『神話』は物語形式なので、事実とフィクションの区別がつきにくい。
なので『神武天皇』の存在は「実在は真実だろう」と思われてるものの、公式には『伝説上の人物』との位置づけなのです。
それは『神話の内容』と一致する、歴史記録を見れば割り出せます。
いよいよ、『神話』と歴史の融合です! さあ、結果はどうなったでしょう?
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あれ? 神武天皇って本当に存在するの? てっきり物語の創作キャラと同じ扱いかと… |
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実在してたんですか? それはいつの時代だったんですか? |
🔍 『伝説上の人物』の謎を解き明かす
『神武天皇』が本当に実在したか?
それについては、まずは『神話』を通して、彼の足跡を、時間の流れに沿って整理する必要があります。
その足取りをたどる中で、
これらも見比べることで、そこを突破口に、精度を高めた事実を割り出すことが出来ます。
まずは、私が『神話』を原文から訳し直したことで割り出すことができた、神武天皇の足跡です。
【神武天皇の足跡】
これを見て分かるように、奈良の地を〝特別な土地〟にしたのは『神武天皇』
そう考えると、つじつまがあいます。
その新たな地で〝政治的な決定や儀式が行われた〟と書いてありますから〝ヤマト政権〟のスタートもこのタイミングと考えられます。
歴史の目線から見ると、最初は〝ヤマト政権〟と呼ばれる新興勢力が、奈良の地に都を定めた後、次第に周辺の小国や部族を従える形で統一国家へと発展していったと整理されています。
この〝ヤマト政権〟が発展し『天皇政治』としての形が整った後の呼び名が『大和朝廷』
『神武天皇』の登場は、『弥生時代』の終盤〜『古墳時代』の入り口にかけて、というのが私の計算です。
それは『神武天皇』のイメージ図も、その事実を示しています。
装備している武器の性能も、弓と剣ですから、縄文時代とは合いませんし
『神武天皇』の髪型って、後の『古墳時代』を象徴する〝鉄アレイ型〟なのです。
【神武天皇】
💻 引用元LINK……橿原神宮
『古墳時代』の日本だけ、なんであのような〝鉄アレイ型〟の髪型が流行ったのか? というと、古墳時代の貴族、豪族達が『神武天皇』への忠誠を形に示すため、彼の姿を真似したからなのです。
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『日本神話』と歴史とぶつけると、予想以上に、面白いでしょう?
この、『神武天皇』の登場と「ヤマト政権」のスタートの時期にあたる、西暦100年代とは、いったいどんな時代だったでしょう?
・ 長年過ごした地での『土地伝承』(高千穂など) ・ 別な古文書の記録 (古語拾遺・魏志倭人伝) ・ 武器の性能 (剣や馬が出てくる時代) ・ 考古学での調査結果 (古墳)
►… 神武天皇・高千穂の部 …◀
・ 最初に大和氏の遠祖が、高千穂の地を制圧
・ 神武天皇が高千穂の地に降り立つ
・ その地で3人の子が誕生(長女・長男・次男)
・ 熊襲を撃退後、東征開始
►… 神武天皇・東征中 …◀ ・ 筑紫の岡田宮に1年滞在 ・ 阿岐国(広島県)の多祁理宮に7年滞在 ・ 吉備(岡山県)の高嶋宮に8年滞在中に スサノオに子(天孫)が生まれる ・ 神武天皇の兄は戦死 ・ 船で「浪速の渡し」を経て、いよいよ陸路決戦 ・ 途中何度か敵襲に遭う(3回以上) ・ 大王様、無事に奈良の地に到着
►… ヤマト政権の中央集権化 …◀ ・ 奈良の橿原に宮殿を造る ・ 豪族代表者を宮殿に集めて初代天皇宣言! ⇢ ヤマト政権のスタート ・ 部下を地方豪族の主に据え、各地で稲作等を指導
►… 大王様の崩御後 …◀ ・ 巨大な前方後円墳の建築(箸墓古墳) ・ 巨大すぎて、完成が西暦300年頃にまでずれ込む ⇢ これが古墳時代の始まり
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この中に、歴史と照らし合わせて年代を絞り込めるヒントがあります。
それは、『ヤマト政権』のスタートの部分です。
のちの『大和朝廷』となる政治体制の原形である『ヤマト政権』スタートが『神武天皇』によるものというのは『古語拾遺』にイキイキと描写されています。
►… 神武天皇・東征中 …◀ ・ 筑紫の岡田宮に1年滞在 ・ 阿岐国(広島県)の多祁理宮に7年滞在 ・ 吉備(岡山県)の高嶋宮に8年滞在中に スサノオに子(天孫)が生まれる ・ 神武天皇の兄は戦死 ・ 船で「浪速の渡し」を経て、いよいよ陸路決戦 ・ 途中何度か敵襲に遭う(3回以上) ・ 大王様、無事に奈良の地に到着
►… ヤマト政権の中央集権化 …◀ ・ 奈良の橿原に宮殿を造る ・ 豪族代表者を宮殿に集めて初代天皇宣言! ⇢ ヤマト政権のスタート ・ 部下を地方豪族の主に据え、各地で稲作等を指導
►… 大王様の崩御後 …◀ ・ 巨大な前方後円墳の建築(箸墓古墳) ・ 巨大すぎて、完成が西暦300年頃にまでずれ込む ⇢ これが古墳時代の始まり
妖気が晴れて風塵がなくなった後のこと。 ( ↳ 邪魔だてする敵がいなくなった比喩) 奈良の地、橿原に、ヤマト政権の都が建てられたのでございます。 その都に、天皇の住む御殿が作られ、その新たな地で政治的な決定や儀式が行われたわけでございます。 ( ↳ 大和朝廷の原形のスタート) 橿原の都は、まるで天上の楽土のように栄え、天皇や皇室の権威と威厳を保ちつつ、国の安定と繁栄を象徴する都だったのです。
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〝ヤマト政権〟と『大和朝廷』の違いって何ですか? このふたつは別物ですか? |
ひこ
〝ヤマト政権〟は、代々の天皇に引き継がれるごとに、少しずつ権力基盤を強め、後に『大和朝廷』に変わったので、『大和朝廷』という呼び名に変わった時期は、100年以上後の、3世紀後半から4世紀にかけてと言われています。
〝ヤマト政権〟の頃は、まだ文字記録がゼロだったので、歴史の目線から見ると、「なんとな〜く」のおぼろげな形しか見えなかったのです。
〝朝廷〟という言葉は、元々中国王室からきています。 この言葉の由来は〝皇帝が政務を行う場所〟のことで、皇帝の住む宮殿区内に臣下たちが集まり、そこで議論の集会や国の重要な意思決定が行われていた。
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『神武天皇』って縄文時代じゃないんですね。 神話に出てくるから、もっと古い時代の人かと |
💻 引用元LINK……橿原神宮
『古墳時代』の日本だけ、なんであのような〝鉄アレイ型〟の髪型が流行ったのか? というと、古墳時代の貴族、豪族達が『神武天皇』への忠誠を形に示すため、彼の姿を真似したからなのです。
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『日本神話』と歴史とぶつけると、予想以上に、面白いでしょう?
この、『神武天皇』の登場と「ヤマト政権」のスタートの時期にあたる、西暦100年代とは、いったいどんな時代だったでしょう?
📺 西暦100年代(2世紀)の日本&中国
| 日本 | 中国 | |
| 特徴 | この時代の日本は、弥生時代末期にあたり、ヤマト政権がスタートしました。(諸説あり) | 同時期の中国は、光武帝による後漢が支配していました。ただ、宦官と皇族の争い、地方豪族の勢力拡大、さらには黄巾の乱など、色々と大変になり始めてました。 |
| 外交 | 『神武天皇』が、王として政権をスタートさせたことで、外国と格が同じになり、朝鮮の王族や中国王朝との直接のやり取りが活発になりました。 | シルクロードを通じて、ヨーロッパとの貿易が盛んに行われていました。この交易路は、文化や宗教、技術などの交流にも大きな役割を果たしていました。 |
| 道具 | この交流で、新型の青銅器や鉄器の使用が増え、これが社会や文化に影響を与えていました。土器、織物、金属工芸なども飛躍的に発展します。 | 高度な鋳造技術があり、青銅器や鉄器が広く使われていました。 伝統医学が発展し、特に薬草学が重要視されました。 |
| 社会 構造 | 地方豪族に対しては『神武天皇』が統合と役員派遣を進めます。天皇配下の側近を地方の統率者に据えることで、中央集権化がはかられます。 | 安定した社会と農業の発展により、人口が大幅に増加しました。大都市が成長し、商業と手工業が発展しました。 |
| 宗教 | 神武天皇の崩御以降『古墳時代』の幕開けです。3世紀以降になると、天皇配下の豪族の地に古墳が量産されるようになります。 | 仏教が中国に伝来し始め、宗教の多様化が進みました。 儒教が国家の公式イデオロギーとして復興しました。 |
📺 『古墳時代』の始まりは神武天皇の前方後円墳から!!
神武天皇の崩御後は、特大の墓が建てられることになります。
それは、過去に例のなかった規模の、日本最古級の〝巨大前方後円墳〟
『箸墓古墳』です。
その建造物が『神武天皇』の政治の地、橿原市にあるわけです。
どのくらい大きいか? というと、全長約280メートル。
お墓ひとつで、東京ドームよりもはるかに大きいサイズとなります。
あまりにも巨大すぎて、完成までにおそらく100年以上費やされています。
こうやって、証拠を積み重ねていくと、歴史と神話がぶつかって、伝説が〝事実〟に変わるのです!
歴史とは、リアル謎解きゲーム!!
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👤 『箸墓古墳』ってどんな感じ?
写真 奈良県歴史文化資源データベース
🔲 形状
-=-=-=-=-=-=-=-=-=-
歴史は謎の中。
複数の史料と整合性をもとにした仮説の一つではありますが
『神武天皇』が生きた時代は、弥生時代末期から古墳時代の手前にかけてと考えると、いろいろな点の辻褄が合います。
そして『神武天皇』のヤマト政権が、後の天皇政治『大和朝廷』の源流と考えると、天皇政治が権力の中心となった流れも自然に説明できます。
奈良の地に残された巨大な古墳群を、初期王権の権力の象徴として見るならば——
日本史上最強の人物は、実は初代天皇『神武天皇』なのかもしれませんね。
巨大な前方後円墳。 この形は〝鍵穴〟と言われてますが、本当は〝人の上半身〟👤を表しています。 前方後円墳 の形は『皇族&その子孫』しか作ることを許されない形でした。
🔲 被葬者 -=-=-=-=-=-=-=-=-=-当時のヤマト政権の最も権力のあった指導者と推定されています。 時代背景から、卑弥呼の墓という説もあるようですが、これだけ特大の古墳の場合、埋葬者の候補は、比類なき権力者の存在が必要となります。
🔲 完成時期 -=-=-=-=-=-=-=-=-=-3世紀後半〜4世紀と推定されてます。これは、あまりにも巨大プロジェクトすぎて、完成に期間がかかりすぎたため。おそらく、崩御直後は、もっと小さい日本最古の古墳が、仮のお墓だったはず。
西暦200年代の日本&中国





