🔍 日本神話の謎に挑む『古事記こじき』の訳



【古事記・原文と直訳】

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曁 飛鳥 清原 大宮 御大 八洲 天皇御世 濳龍 體元 洊雷應期開 夢歌而相纂業 投夜水而知承基 然 天時 未臻 蟬蛻於 南山 人事共給 虎步於 東國

飛鳥の清原の大宮 大八洲治む 天皇の御世 潜龍 失われし権威戻さんと またも雷期を迎うるに 夢の歌もって 先代の過ち夜水に投じ 基を承うと意す 然れども 天の時は未だ来たらず 南山にて蝉が脱ぎ捨てる殻の如く 人事共に東国にて虎の如く步み給う


皇輿忽駕 淩渡山川 六師雷震 三軍電逝 杖矛挙威 猛士烟起 絳旗耀兵 凶徒瓦解 未移浹辰 気沴自清 乃 放牛息馬 愷悌歸於華夏 卷旌戢戈 儛詠停於都邑 歳次大梁 月踵夾鍾 清原大宮 昇即天位

皇王の御輿 いざ動き出でば 山川越え 六師団 雷の如く震い 三軍 電光の如く駆けし 矛を杖とし威を擧げ 猛士は烟と共に起ち 絳旗は耀いて 不服兵は凶徒と共に瓦解す 未だ浹辰を移さず 気沴自ずから清らかなり 牛馬を休めし 愷悌は華夏に帰り 旗を巻き 槍を収め 舞詠も都邑にて休みたり 大梁の年に至りて 月は夾鍾に踵し 淸原の大宮に昇りて 天位の決意 新たにす


道軼軒后 德跨〝周王〟 握乾符而摠六合 得天統而包八荒 乘二気之正 齊五行之序 設神理以奨俗 敷英風以弘国 重加 智海浩汗 潭探上古 心鏡煒煌 明覩先代

道 軒后を軼び 徳〝周王〟をも跨ぐ 乾符を握り六合を摠み 天の統を得て八荒を包む 二気の正を乘じ 五行の序を齊う 神理を設けて俗を奨め 英風を敷いて国を弘む 智海に重ねて浩汗を加え 潭にて上古の心鏡を探り 煒煌たる明を覩し先代を照らす

テーブルデザインピンク2行 漢文も、訳文も、どっちも分からにゃい…… コレ、なんていってるんですか?
このままでは、よくわかりませんよね? 以下は、【原文】の現代訳バージョンになります。
🔱 『古事記ふるきことぶみ』上巻 (序文 その3) 「従五位上」官位 太 安万侶おおの やすまろ (奈良時代)

太安万侶おおのやすまろ が、序文の続きを語りますわ。 ドキドキしながらマロっちゃん、ちょっと心の内から陛下にエール送ってみたんですわ。


飛鳥の清原に大宮があった時代(飛鳥時代)に、神を裏切って失った権力…… 天皇家の力、今は「潜龍」やけどな、元の力解き放って「雷鳴」とともに、表舞台に返り咲きたいんや。 詩に詠むような、積年の過ちを夜水に投げ入れて、昔の価値観に戻しはるねん。 せやけど、今はまだダメや。残念やけど、神の示現はまだなんや。 でもその時来たらな、南山のセミが殻を脱いで空に舞うように、人も事も動かして、東日本まで切り開く〝虎〟のように、力強く権力奪還するはずやで!


すめら輿こしがいったん動き出したら、いきなり山川越えて、どんどん進撃の巨人や。海賊王にオレはなる! 言うてな。 六師団の兵も雷鳴とともに、三軍が電光石火のように、陛下のために動く。 矛を手に、闘士の煙と絳旗が兵を輝かせてな、裏切り者の凶徒(権力拡大の不服従貴族・豪族)たちは「あかん、陛下に降参」って謝ってくるんや。 奪還後は、牛も馬も休ませて、和やかな心で帰陣や。 旗は巻いて槍もしまって、舞詠まいえいも都でゆっくり休む。 大梁の年が来たら、清美の野の月明かりの下、大宮に上がって、偉大な天皇の権力を取り戻すんや!


こないな道を陛下が進めば、もう中国の『周王』も陛下の陰に隠れるほど、陛下の威厳ばっちり! 「天の神様の声」再び受けながら全てを統べ、天の命に従って広大な国土治めてな… 陰陽のバランスに乗って、五行の理木火土金水もっかどこんすいもええあんばいに整えて…… 神の理を説いて民を導きながら、神の息吹を四方に流し、知の海を深めながら、広大な知識を探求し、神の声が届く古の八咫鏡を蘇らせて、先代の賢者(神武天皇&女帝)の再現となるんや!

🎓 『古事記』を理解する、分かりやすい解説

今回の訳を理解するには、ちょっとだけ 歴史の知識 も必要になります。 その、飛鳥時代には、何があったのか?
実はその時代、天皇の権力が、徐々に衰えてしまったのです。
仏教が初めて日本に入ってきたのは、允恭天皇の代(西暦400年代の中頃)が仏教を受容したというのが、一番古い記録になります。 しかし、その受容以降、実は天皇の治世に問題が発生し始めます。

💻 関連LINK……西暦400年代の世の中はどんな感じ?

そして西暦500年代になると、538年に仏教が政治の道具として本格的に使われ始めました。この新しい宗教は、日本で古くから根付いていた「神道」側との緊張を生じさせ、地方の強力な豪族たちは、公然と「反発」の態度を取り始めます。 推古天皇の代になると、聖徳太子(皇族の一員)が政治のリーダーとして活動し、「十七条の憲法」を作り、国を中央集権的に統治しようとしました。 しかし聖徳太子は、その過程で蘇我馬子そがのうまこと共に仏教の普及にも力を入れ、その結果、仏教導入時に蘇我一族が、朝廷内で天皇よりも大きな力を持つようになってしまったのです。 これに危機を抱いて起こした事件が、645年の大化の改新。 蘇我氏による権力独占を終わらせ、天皇中心の政治を取り戻すために、中大兄皇子なかのおおえのおうじ中臣鎌足なかとみのかまたりが、蘇我入鹿そがのいるか(馬子の孫)を暗殺したのですが… 今度はその中臣鎌足なかとみのかまたりの子孫である、藤原氏の台頭を許すことになるという悪循環。

仏教の導入と共に、何かが崩れ去ったのです。 天皇家が「神道」から路線変更したことで、天の神様が去ってしまった。

その結果、ゴタゴタ続きとなってしまったので、奈良時代の太安万侶など、側近貴族の一部は、「過去の栄光よ、再び!」との思いがあったのです。 この願いは、ただの懐古趣味ではない。 彼らの願いは、天皇が直接「神の声を聞く政治」を行っていた時代への回帰です。

かつての天皇は、天に認められた絶大な権力を持つかわり、神々と人々の間を繋ぐ存在として、正しい政治を行っていた。

しかし、時代の流れとともに、それが薄れ、神に感謝する「祭祀」すらどんどん形式的になってしまった。 側近貴族たちは、この状況を何とかして元に戻したいと願っていた。 彼らは、天皇が再び国の中心に立ち、神々と人々の橋渡しをすることで、国を導く姿を切望していた。 しかし、その願いはいまだ叶わず…… 太安万侶は、その思いを『古事記』の序文の中で、ビビりながらもわざわざねじ込んだ。 それは、『初代天皇』の治世への強い思いを隠しきれなかった、証拠でもあったのです。 NEXT古事記ふるきことぶみ上巻かみつまき 序文 その4










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