🔍 古語拾遺の完全訳


『神武天皇』の世から見て、数十年後。

天日鷲命アメノヒワシ櫛明玉命クシアカルタマの孫の代。
時の天皇の影響力は、上總国と下總国(千葉)にまで広がる。


【原文と直訳】(第2部 神宝を天皇に献上)

又 令天富命アメノトミ齋部いんべ諸氏 作種種神寶 鏡玉矛盾木綿麻等 櫛明玉命クシアカルタマ之孫 造 御祈玉みきたま 《古語 美保伎玉みほぎたま 言祈也》 其裔 今在出雲国いずものくに 毎年與調物共頁進其玉 天日鷲命アメノヒワシ之孫 造木綿及麻并織布 《古語 阿良多倍あらたえ

天富命 齋部諸氏と共に 数々の神宝を作り  櫛明玉命クシアカルタマの孫 御祈玉を造る 《古語 美保伎玉みほぎたま 祈りの言葉》 出雲国にその裔あり 毎年玉を進む 天日鷲命アメノヒワシの孫 木綿麻を織り布を造る 《古語は 阿良多倍あらたえ


仍 令天富命アメノトミ日鷲命ヒワシ之孫 求肥饒地遣阿波国あわのくに殖穀麻種 共裔 今在彼国 當大嘗之年 貢木綿麻布及種種物 所以 郡名爲麻殖之縁也

天富命 日鷲命の孫と共に阿波国へ  肥沃な地を求め麻穀を殖やす 彼の裔 大嘗年に木綿麻布を貢ぐ 故に郡名は麻殖


天富命アメノトミ 更求沃壤 分 阿波齋部あわのいんべ 率往東上 播殖麻穀 好麻所生 故 謂之總国そうのくに 穀木所生 故 謂之結城郡ゆうきぐん 《古語 麻謂之總 今爲上總下總二国 是也》 阿波忌部あわのいんべ所居 便名安房郡あわぐん 《今安房国あわのくに 是也》

天富命アメノトミ 更に沃壤を求め  阿波齋部あわのいんべを東上し麻穀を播く 總国 結城郡ゆうきぐんと名付ける 《古語では、麻総と呼ばれていたが、現在は上総と下総の二つの国である》 阿波忌部あわのいんべの居所 安房郡となる 《古語での安房郡あわぐんは、現在は安房国である》


天富命アメノトミ 即於其地立太玉命社ふとたましゃ 今謂之安房社あわのやしろ 故 其神戸有齋部氏いんべうじ 又 手置帆負命テオキホオイ之孫 造矛竿 其裔 今分在讚岐国さぬきのくに 毎年調庸之外 貢八百竿 是其事等証也

天富命アメノトミ 太玉命社ふとたましゃを建て 今安房社あわのやしろと呼ぶ 手置帆負命テオキホオイの孫 矛竿を造り  讚岐国さぬきのくににその裔あり 毎年八百竿を貢ぐ これが証しなり

テーブルデザインピンク2行 なんか表現が古くありません? 私の頭では、意味がよくわからないです……
このままでは、よくわかりませんよね? 以下は、【原文】の現代訳バージョンになります。
古語拾遺こごしゅうい』(第2部 神宝を天皇に献上) 「従五位下」官位 斎部宿禰廣成いんべのすくね ひろなり (奈良・平安時代)

かつて、天富命あめのとみのみことという方が、齋部諸氏いんべのもろうじを率い、様々な神宝、すなわち鏡、玉、矛、盾、木綿、麻などを作らせました。 櫛明玉命の孫は、祈りの玉(古語では美保伎玉みほぎたま、言祈也)を造り、この子孫たちは現在、出雲国におられ、毎年、これらの神宝を天皇に献上しております。 また、天日鷲命あめのひわしのみことの孫は木綿や麻を使って布を織り、これは古語で「阿良多倍」と呼ばれております。 続いて、天富命は日鷲命の孫を率いて、肥沃な土地を求めて阿波国へ遣わし、穀物と麻の種を殖やすよう命じました。 その裔は今も彼の国におり、大嘗祭おおなめさいの年には木綿や麻の布、その他様々な物を献上しております。 このため、その地域は麻を栽培する地として知られているのでございます。 また、天富命は阿波の齋部を率いて東へと進み、麻や穀物を栽培しました。 麻が豊かに育つ地域は「總国」と呼ばれ、これは現在の上總国と下總国(千葉県の一部)にあたります。 また、穀物が豊かに育つ地域は結城郡と呼ばれました。 阿波忌部が住む地域は安房郡と名付けられ、現在は安房国(千葉県南部)として知られております。 天富命はこの地に太玉命社を建立し、現在は安房社と呼ばれています。 故に、その神戸かんべには齋部氏がいます。 最後に、手置帆負命ておきほおのみことの孫は矛の柄を作り、その子孫たちは現在讃岐国(香川県の一部)に住んでおり、毎年、調庸の外に八百竿を貢ぎます。 これがその事の証でございます。

🎓 『古語拾遺』を理解する、分かりやすい解説

本文に出てきた、〝御富岐玉みほぎだま〟とは、四神の神秘的な力が込められた祭具で、この魔法の玉は、ただそこに置くだけで、その地が聖域に変わるほどの霊力を秘めていたとか。 天皇の御殿も、四方を守る四神の御神力が、厄除けや魔除けに絶大な効果を発揮。 その力は、邪悪なものが近づくことすら許さなかったと伝えられています。 古代日本の神宝には、このような不思議な力が宿るものが他にも存在しました。例えば、鏡や玉を作成する特別な呪術師が作ったものは、神々との交流や祭祀において重要な役割を果たしていたのです。 また、矛や盾が崇められていたのは、邪悪な力から国を守るための霊的な保護としての意味合いがありました。 現代でも〝破魔矢〟の伝統は残りますが、この伝統の起源は、思った以上に古かったのです。 これらの神宝は、特定の家系や地域によって代々守られ、大切にされてきました。 例えば、出雲国に住む家系が毎年天皇に神宝を献上するという伝統は、それらを守り、伝えることが一族や地域の名誉とされていたのです。 NEXT『古語拾遺』第2部 神武天皇








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