🔍 古語拾遺の完全訳


『古語拾遺』の神話編(先祖の古文書の書き写し)が終わり、ここからは【第2部】の 宮殿建設〜ヤマト政権スタート に入ります。

【原文の構成】

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【原文と直訳】(第2部 神武天皇東征)

逮于 神武天皇 東征之年 大伴氏 遠祖 日臣命ひのおみ  督將元戎 剪除兇渠 佐命之勳 無有比肩 物部氏 遠祖 饒速日命にぎはやひ  殺虜帥衆 歸順官軍 忠誠之効 殊蒙褒寵

神武天皇 東征の年に際し 大伴氏おおともうじ 遠祖 日臣命ひのおみのみこと 元戎督し 兇渠剪除す 佐命功 比肩する者なし 物部氏もののべうじ 遠祖 饒速日命にぎはやひのみこと 虜帥殺し 衆率い官軍帰順す 忠誠効 殊に褒寵蒙る


大和氏 遠祖 椎根津彦しいねつひこ 者 迎引皇舟 表績香山之巓 賀茂縣主 遠祖 八咫烏やたがらす 者 奉導宸駕 顯瑞菟田之徑 妖氣既晴 無復風塵 建都橿原 經營帝宅

大和氏ヤマトウジ 遠祖 椎根津彦しいねつひこ 皇舟迎引き 香山巓にて績表す 賀茂縣主カモアガタヌシ 遠祖 八咫烏やたがらす 宸駕奉導し 菟田徑にて瑞顕す 妖気既に晴れ 風塵再びなく 橿原に都建て 帝都政権樹立

テーブルデザインピンク2行 なんか表現が古くありません? 私の頭では、意味がよくわからないです……
このままでは、よくわかりませんよね? 以下は、【原文】の現代訳バージョンになります。
古語拾遺こごしゅうい(第2部 神武天皇東征) 「従五位下」官位 斎部宿禰廣成いんべのすくね ひろなり (奈良・平安時代)

神武天皇の東征の年に、大伴氏の遠祖である日臣命ひのおみのみこと が、勇敢なる主将として軍を率い、反逆者を討伐されたことは、称賛に値する業績でございます。彼の功績は、天皇を補佐することにおいて、他の追随を許しませんでした。 また、物部氏の遠祖、饒速日命にぎはやひのみこと もまた、敵の首領を討ち取り、その部下を官軍に帰順させるという、類い稀なる戦略で名を馳せられました。彼の忠誠と効果的な行動もまた、特に賞賛に値するものでございます。 さらに、大和氏の遠祖である椎根津彦しいねつひこ は、皇舟をお迎えし、香山の頂でその功績を示されました。 賀茂郡の主である八咫烏やたがらす の遠祖は、宸駕(天皇の籠車)を導き、菟田の道を明らかにされました。 妖気が晴れ、風塵がなくなった後、橿原には都が建てられ、帝宅の経営が行われたのでございます。

📼 作者の斎部廣成いんべの ひろなり 一人語り風

ここから先は、いかにして偉大なる『大王様』が遠征を経て天下を手中に収め、奈良の橿原かしはらにその壮麗なる宮殿を築き上げたのか? その流れになりますな。 ここからいよいよ、『古事記』の謎解きパートになりますぞ。   ・    ・  神武天皇の東征の年には、大伴氏の遠祖、日臣命が大活躍をされました。 大伴家持おおとものやかもち? ええ、飛鳥時代のあの方のご先祖様ですな。 彼は主将として軍を率い、行く手を阻む反逆者たちには、次々と〝神の掃除〟を行ったわけです。 物部氏のご先祖にも、饒速日命という方がおりまして、この方もまた強いのなんの。 敵の首領を倒し、その部下たちをガッポリ官軍に引き入れたとか。 これらの2人が、出雲の地での 經津主神フツヌシ と 武甕槌神タケミカヅチ といいます辣腕ヤクザ神のモデルとなっているのですな。   ・    ・  さてさて、話は続きまして…… 大和氏の遠祖、椎根津彦しいねつひこという方の名前も見逃せませんな。 大和氏の遠祖は、なんでも一番最初、大王様の護送船に乗った『一寸法師隊』が初めて日本の地にお見えになられた時、皇舟を迎えた側として、『香山の頂』で大活躍されたそうですな。 天香具山あまのかぐやまとは、天孫が降り立ったとされる〝高千穂の峰〟とされておりますが、実際には大王護送団のご到着のことなのでございます。 そして、八咫烏のご先祖様も賀茂郡にいらっしゃって…… 八咫烏のことは存じてますかな? 天皇を運ぶ籠のことでございます。 古文書には ドデカいカラスが空から舞い降りた とありますが、これはもちろん〝比喩〟でありましてな、八咫烏は『空巣からす』つまり、天皇専用の大きな籠、リムジンのことでございますわ。 天皇のリムジンと言いますのは、御輿みこしや御車御車ごしゃのことを指しましてな、天皇専用の大きな籠は天皇がご乗車されてないときは空っぽ。だから『空巣からす』。 3本足というたとえも、前に1人、後ろに2人のフォーメーションで「天皇を運ぶ籠」を守っておりましたところから。 賀茂郡の主である八咫烏の遠祖は、そのリムジンを導き、菟田うだ(奈良県橿原市)への道を完全護衛しました。 単なるリムジンドライバーと言うなかれ。 宸駕しんがを導く役割は、極めて高い名誉と責任を伴うものでございました。 天皇の移動は敵地に身をさらす行為。道中のルートの設定、護衛の警戒、先導隊による戦闘など、八咫烏は難路を避けながら、無事に大王軍の東征を守り通したのでございます。 彼らの努力により、大王様は初代天皇になられました。 これにて妖気が晴れ、風塵がなくなり、橿原に都が建てられ、帝宅の経営が行われたのでございます。

🎓 『古語拾遺』を理解する、分かりやすい解説

『神話』の口伝伝承とは、側近によって作られた物語が、後からその土地の〝語り部〟に降ろされたものです。 同じように、『昔話』のいくつかも、文才のある朝廷貴族によって作られ、後から『土地伝承』として根付く形で、降ろされています。 『一寸法師』のお話もその中の1つ。   ・    ・  元々日本に住んでいた、弥生時代後期の推定人口は、全国合わせても、せいぜい100万人程度。 そこに、大護送船団が日向国(宮崎県)の高千穂に降り立った。 天の国からの王族の子孫(略して天孫)が、側近の大貴族団を従えて、中国の天津市の港からやってきた。 このエピソードを元に、後の時代に作られた物語が『一寸法師』 『一寸法師』のあらすじ

昔、子どものないある老夫婦が、神仏に祈り続けた結果、一人の子どもを授かります。 しかしその子の背丈は、大人になっても一寸の小ささでした。 そこで彼は『一寸法師』と名付けられます。 一寸法師は勇敢で賢く、冒険を求めて〝お椀の舟〟で旅に出ます。 旅の途中、川で溺れているトンボを助け、その恩返しにトンボが彼を遠くまで運びます。 その後、一寸法師はある大名の屋敷にたどり着き、そこで仕えることになります。 ある日、大名の娘が鬼にさらわれる事件が起こります。 一寸法師は鬼退治を志願し、鬼の住む山へ向かいます。 途中、山の神から魔法の針を授かり、それを武器として鬼と戦います。 一寸法師は巧みに鬼を倒し、大名の娘を救出します。 大名の娘と一寸法師は互いに惹かれ合い、結ばれます。

  ・    ・  これは何を意味する比喩なのか? 『一寸法師』の〝お椀の船〟とは、天津国からご降臨された『神武天皇』の皇舟のこと。 ー『子を欲す老夫婦』とは ➛ 『日本の神様』のこと。 日本の神様が、「この地を統治するにふさわしい、王を任せられる人物はどこかにいないか?」と適任者を探したものの、国内には誰もおらず、海外から〝その地位にふさわしい人物〟を呼び寄せることになった。 その、天下を治めるにふさわしい王として選ばれたのは、大貴族団を抱えるレベルでありながら、人格的に優れた、中国の古代王族の子孫。権力を与えても、圧政の独裁者にならない人物像としてピッタリ!! その人物こそ『神武天皇』
 ►… 高千穂 ・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・- ・ 神武天皇が高千穂の地に降り立った ・ その地で子ども誕生(長女・長男) ・ 熊襲を撃退後、東征開始  ►… 東征中(45歳で東征開始) ・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・- ・ 吉備に滞在中、スサノオの子(天孫)  ►…〝ヤマト政権〟のスタート ・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・- ・ 大王様、奈良に宮殿を造り、大王宣言! ・ 部下を地方の主に据え、稲作等を指導(名君) ・ 出雲だけ落ちない。スサノオ(長男)仕事せず ・ 卑弥呼(長女)が来て、出雲の国譲り成功 ・ 火山噴火。天岩戸隠れ(太陽が噴煙で消える)
『神武天皇』は、日本の神様に導かれ、大貴族団を従えた皇舟で、日向国(宮崎県)の高千穂に降り立った。 これがのちに『高千穂の天孫降臨伝説』として神話で語られるようになる。   ↳ (神の命を受けて…のくだりは、『天津祝詞』の冒頭参照) 『天津祝詞』の冒頭

高天原にたかあまはらに 神留まり坐すかむずまります 神漏岐・神漏美かむろぎかむろみ命以てみこともちて 皇御祖神すめみおやかむ 伊弉諾大神イザナギのおおかみ

『高天原』におられます 『神漏岐かむろぎ』と『神漏美かむろみ』の命を受けて  皇族の祖神として 『伊弉諾イザナギ神』が地上に降りられました

  ・    ・  一寸法師の乗る〝お椀の舟〟とは、このときの護送船団のこと。 〝トンボを助け、運んでもらった〟…… とは、〝地元の豪族〟を助け、護衛の武力兵団を借り受け、遠くの地である、奈良の橿原かしはらまで守り通されたことを指す。 その道中……(物語では「その後」となってますが、道中です) ある大名の屋敷にたどり着き、そこで歓待を受け、しばらく仕える。 これは、日本神話の聖地『おのころ島』の王族の宮殿のところに数年滞在したことを指す。 この宮殿では、大変な歓待を受けて、友好の証として王族の娘と『神武天皇』の子である素戔嗚尊との間に子どもが生まれる。それが皇孫命。 そこから先、大名の娘が鬼にさらわれ…… からのくだりは、『桃太郎伝説』と合流。 桃太郎伝説の鬼ヶ島とは、岡山県倉敷市周辺の伝説。 そして、日本神話の聖地『おのころ島』も、岡山県倉敷市。 NEXT『古語拾遺』第2部 神武天皇の橿原宮建築








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