🔍 日本神話の機密をポロリ『古語拾遺こごしゅうい』の訳


今回は、『古事記』に出てくる 『出雲の国譲り』の原形です。
『古事記』側で知られている神話は、ここから話を膨らませたことがうかがい知れるわけですが、 初期構想の時は、『高木神』や『天菩比神アマノホヒノカミ』の存在はなかったようですね。 すぐ右下の  リンクから、『古事記』の該当記事 に飛べますので、両者を見比べてみると、どの部分をどう変化させたか? わかりますよ。   ・    ・ 
【原文と直訳】(出雲の国譲り)

天祖 吾勝アカツ尊 納高皇産靈タカミムスビ神之女 栲幡千千姫タケハタチヂヒメ命 生 天津彦アマツヒコ尊 號曰 皇孫命 《天照大神アマテラスオオミカミ 高皇産靈タカミムスビ神 二神之孫也 故曰皇孫也》

天祖 吾勝アカツ高皇産靈神タカミムスビノミコト之女 栲幡千千姫命タケハタチヂヒメノミコト娶り 天津彦尊アマツヒコノミコト生む 是を皇孫命と号す 《天照大神アマテラスオオミカミ及び高皇産靈神タカミムスビノミコト二神之孫故 皇孫と称す》


既而 天照大神アマテラスオオミカミ 高皇産靈タカミムスビ尊 祟養皇孫 欲降爲 豊葦原中国主 仍 遣經津主フツヌシ神 《是 磐筒女イワツツノメ神之子 今 下總国 香取神 是也》 武甕槌タケミカヅチ神 《是甕速日ミカハヤヒ神之子 今 常陸国 鹿嶋神 是也》 駈除平定

既に 天照大神アマテラスオオミカミ及び高皇産靈尊タカミムスビノミコト 皇孫養ひ 豊葦原中国主として地上に降ろすを望む 仍って 經津主神フツヌシノカミ《是磐筒女神イワツツノメノカミ之子 現在下總国・香取之神》及び 武甕槌神タケミカヅチノカミ《是甕速日神ミカハヤヒノカミ之子 現在常陸国・鹿島之神》遣わし 平定命ず


於是 大己貴オオナムチ神及其子事代主コトシロヌシ神 並皆奉避 仍 以平国矛 授二神曰 吾以此矛 卒有治功 天孫 若用此矛治国者 必當平安 今我將隱去矣 辭訖遂隱 於是 二神 誅伏諸不順鬼神等 果以復命

於是に 大己貴オオナムチ神及びその子事代主コトシロヌシ神は 共に避け奉る 仍って 平国の矛を二神に授けて曰く 「吾が矛により 治功を成し遂げし天孫よ 若し是矛用いて国治むなら 必定平安ならん 今 吾隠れんとす」と辞して隠居す 於是に 二神は 不順な鬼神等を誅伏し 果たして命を復す

テーブルデザインピンク2行 難しすぎて、何を言ってるのかサッパリ。 いつものように、解説待ってます!
このままでは、よくわかりませんよね? 以下は、【原文】の現代訳バージョンになります。
古語拾遺こごしゅうい』第1部 (出雲の国譲り) 「従五位下」官位 斎部宿禰廣成いんべのすくね ひろなり (奈良・平安時代)

天祖吾勝アカツ尊は、高皇産霊タカミムスビ神の娘、栲幡千千姫命タカハタチヂヒメと結ばれ、二人の間に天津彦尊アマツヒコが誕生しました。彼は高皇産霊タカミムスビ神の孫であることから、皇孫命ミコトとも呼ばれます。 その後、天照大神アマテラスオオミカミ高皇産霊神タカミムスビノカミは共に皇孫を大切に育て、豊葦原・中国トヨアシハラノ・ナカツクニの主として地上に送り出すことを望みました。 そして、經津主神フツヌシノカミ 磐筒女神イワツツノメノカミの子で、現在の下総国・香取神宮に祀られている神様)武甕槌神タケミカヅチノカミ 甕速日神ミカハヤヒノカミの子で、現在の常陸国・鹿島神宮に祀られている神様) を派遣して交渉をまとめ上げ、地を平定させました。 この時、大国主神オオクニヌシとその子、事代主神コトシロヌシは、敬意を表して退いたのです。 大国主神オオクニヌシは「国平矛くにさかえのほこ」を二神に渡し、 「この矛で私は平和な統治を成し遂げた。天孫がこの矛を使って国を治めれば、必ず平和をもたらすだろう。よって今、私は引退する」と言い残し、隠居しました。 二神は不順な神々や霊を征伐し、国譲り交渉成立の使命を果たしたのでした。

📼 作者の斎部廣成いんべの ひろなり 一人語り風

この話は、中身の訂正が必要な部分がございまして、 『ここで書かれていること』の解説と、 『ここにはこう書かれてるけど本当はね…』 という2つの解説が必要になるのですが…… まずは素直に、『ここで書かれていること』の解説からいたしましょう。


ド偉い神様でございます 高皇産霊神タカミムスビ には身内に、 栲幡千千姫命タカハタチヂヒメノミコト という方がおりましてな。このお姫様、美しくて賢い方でございました。 彼女は、 天祖・吾勝尊アカツカチ という立派な神様(天忍穂耳のこと)と結婚しましてな、二人の間には 天津彦尊アマツヒコノミコト という、跡取りが生まれたのでございます。 この天津彦尊アマツヒコノミコト 、特別な呼び名であられまする 皇孫命ミコト とも呼ばれておりました。 この孫っ子様は、天照大神 様に預けられて彼女の御殿で大切に育てられたのですが、 天の大親分、高皇産霊神タカミムスビ天照大神 様はこの孫っ子様を、豊葦原中国とよあしはらのなかつくに(出雲のこと)の主として地上に降ろすことにしたのでございます。 しかし、あんさん一人をあんな原っぱ、置き去りにするのは、危なっかしくて仕方ないわけでございます。 そこでまず、 經津主神フツヌシ武甕槌神タケミカヅチ といいます荒くれヤクザ者を派遣いたしまして、先に土地の者を締め上げさせたのでございます。 表向きには、 大国主神オオクニヌシ とその子、 事代主神コトシロヌシ は、敬意を表して退いたとされております。 まあ、実際のところは、ヤクザもんの武闘派交渉人ネゴシエイターたちがいらしたということで、何が起こったかは想像に難くないわけでございます。 権力をお譲りになった 大国主神オオクニヌシ は「国平矛くにさかえのほこ」を二神に渡して、 「この矛で私は平和な統治を成し遂げた。天孫がこの矛を使って国を治めれば、必ず平和をもたらすだろう。今、私は隠居する」 との台詞を吐きまして、自身の軍隊を譲り、そのまま引退されてしまわれたそうでございます。

ここからは、『ここにはこう書かれてるけど本当はね…』の解説となります。

🎓 『古語拾遺』を理解する、分かりやすい解説

それでは、『本当はね…』の解説となりますが、まず全体的に、『神武天皇』の英雄伝説を強引に作り上げようとしていて、設定が破綻しているのです。 ここで出てきた『天孫』ですが、これは〝神の子孫〟と称した『神武天皇』のことを指します。
 ►… 高千穂 ・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・- ・ 神武天皇が高千穂の地に降り立った ・ その地で子ども誕生(長女・長男) ・ 熊襲を撃退後、東征開始  ►… 東征中(45歳で東征開始) ・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・- ・ 吉備に滞在中、スサノオの子(天孫)  ►…〝ヤマト政権〟のスタート ・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・- ・ 大王様、奈良に宮殿を造り、大王宣言! ・ 部下を地方の主に据え、稲作等を指導(名君) ・ 出雲だけ落ちない。スサノオ(長男)仕事せず ・ 卑弥呼(長女)が来て、出雲の国譲り成功 ・ 火山噴火。天岩戸隠れ(太陽が噴煙で消える)
『神武天皇』が実際に降り立ったのは高千穂の地。 そこで数年過ごした後、日向の海から瀬戸内海を経由して、奈良に向かったわけですが、天下を獲って天皇宣言した後は、皇太子(素戔嗚尊)を出雲に派遣しているのです。 しかし、素戔嗚尊がいろいろやらかして、姉上が応援に来て、でも姉上でもなかなか交渉がまとまらず、最後に荒くれの2人組が現地に派遣されて、強引に交渉をまとめ上げたというのが、真実の流れ。   ・    ・  当時の出雲国は強大な国だったので、出雲を国譲りさせたことは誇らしい事実。 そのため、『神武天皇』に華を持たせようと、『古語拾遺』では天津彦尊アマツヒコノミコト という登場人物を急遽作り上げて、彼の手柄としたのですが、 『神武天皇』に華を持たせすぎたために、彼は『日本神話』や『古語拾遺』の中で、いろんな役で何度も登場しています。
 ・ 伊奘諾イザナギ役……実は、冒頭部しか登場してない(古事記・拾遺)  ・ 高皇産霊神タカミムスビ役……天岩戸の時(拾遺)  ・ 天津彦尊アマツヒコノミコト役……出雲国譲り成功の時(拾遺)   ↳ 『古事記』では、出雲に出発→猿田彦と遭遇→高千穂へ変更
こんな感じで、先ほどの『年表』の象徴的な出来事のいくつかの役名を『神武天皇』に割り振り、『神武天皇』が分裂したかの如く、何度も登場している。 『物語の構想状態』のときに、どの方向性で行くか、まとめきれなかったのか? それとも、大げさな活躍ぶりを盛り込むことで、大王様の偉大さを強調したのか? 『神話形式』の物語は、このように、いろいろ、おかしなことになっているのです。

🔎 神倭伊波礼毘古命カムヤマトイワレビコ(神大和・言われ彦の帝)

ちなみに、神話の中の『神武天皇』は、名前のほうも分裂してます。 天祖・吾勝アカツカチも、天忍穂耳命あめのおしほみみのみことも、 天津彦尊アマツヒコも、邇邇芸ニニギも、全部『神武天皇』のことを指すわけですが、 原形の名前は……

❆ 正勝 吾勝 勝速日マサカツアカツカチハヤヒ 天之忍穂耳 命アメノオシホミミ   ↳ 正に勝つまさかつ我が勝つあかつかち瞬時に勝つはやひ天の教えあめのおしほ聞くみみみこと ❆ 天邇岐志アメニギシ 国邇岐志クニニギシ 天津日高日子アマツヒダカヒコ 番能ホノ 邇邇芸ニニギ   ↳ 天握しく・国握し・天津日高彦     万能の・天もる国もる皇(ニニギ)

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