🔍 古語拾遺の完全訳


『天平年間』とは、聖武天皇のときに使用されていた和暦です。

この時、主祭神が本物の神様ではなく、『偉人』を象徴的に祀るケースなど、由来のハッキリしない神社は『幣例』から除外されました。
  ・ 
  ・ 
【原文と直訳】(神々の帳簿『延喜式』の原形)

至天平年中 勘造神帳 中臣專權 任意取捨 有由者 小祀皆列 無縁者 大社猶廢 敷奏施行 當時獨歩 諸社封税 總入一門

天平の年中 神帳の勘造行われ 中臣 専権握り 任意に取捨す 由緒あるものは 小祀たりとも列に加え 縁なきものは 大社たりとも廃す この方針 敷奏され施行す 当時 独歩の状態にあり 諸社の封税 皆一門に入る

テーブルデザインピンク2行 なんか表現が古くありません? 私の頭では、意味がよくわからないです……
このままでは、よくわかりませんよね? 以下は、【原文】の現代訳バージョンになります。
古語拾遺こごしゅうい』第3部 (神々の帳簿『延喜式』の原形) 「従五位下」官位 斎部宿禰廣成いんべのすくね ひろなり (奈良・平安時代)

天平年間に、神々の帳簿の作成(神社のご祭神や由来の整理)が丁寧に行われました。 この重要な作業は、中臣氏が独占的な権限を持ち、彼らの裁量によって決定が下されました。 由緒ある神社は、小さな神社も『幣例』に丁寧に載せられました。 一方で、経緯が不明瞭な神社は、たとえ大きな神社であっても、リストから省略されることもございました。 これらの決定は、当時、中臣氏の独断で行われました。 その結果、様々な神社からの収入や税金(有力者からの大口の寄付や、参拝者からの貢ぎ物なども含む)は、すべて中臣氏の組織に集約される状況となりました。

📼 作者の斎部廣成いんべの ひろなり 一人語り風

ここで『天皇政治』に再び権力を集中させるための一環として、律令制の制定だけでなく、人々に功徳を恵み、厚い信仰心で支持されている、全国の『神社の整理』も行われたのですな。 こちらは『記録文書』として整理され、各地でバラバラに信仰されている、その神社の由来と、主祭神の名前を整理して、『天照大神』を祀る伊勢・『大国主神』を祀る出雲など、本物の神を祀る神社は残し、民間信仰の神を祀る神社は削除されたのですな。 それというのも、たとえ大きな神社でも『住吉大神』の例のように、主祭神が本物の神様ではなく、『偉人』を象徴的に神社に祀る、民間信仰のケースが、後から『幣例』に追加掲載されたケースもあったので、それらを除外して、本物の神様の名前と『神話』に記載された神様の名前と『統一感を持たせよう』としたわけですな。 どうやら『住吉大神』は、政治的な理由で残されたようですがな……。

🎓 『古語拾遺』を理解する、分かりやすい解説

聖武天皇には、中国風の〝尊号〟が採用されています。
勝宝感神聖武皇帝
この言葉の意味を見ると、

勝宝(しょうほう)……「勝利」と「繁栄」を願っている。 感神(かんじん)…… 「神を感じる」なので、霊能力で天意を受けたがっている。 聖武(しょうむ)…… 「神聖」な「闘い」なので、政治権力の最確保。 皇帝(こうてい)……「すめら」「みかど

全体的には、初代『神武天皇』を連想させる言葉が並ぶので、あの伝説のように再び、権力の頂点に戻りたい。 過去の強力な天皇のイメージを取り戻し、天皇の権威を再び高め、政治的な影響力を強化したい……という意図が見て取れます。 その背景には、中臣鎌足(藤原の祖)の登場以来、天皇の権威と政治的影響力が、徐々に削られていった事実があります。 奈良時代の天皇のイメージはもう、「歌詠み」や「和文・漢文」にいそしむ、はんなり貴族の主みたいなイメージに成り下がっていて、かわりに藤原不比等ふじわらのふひと などの藤原一族が、天皇家との結婚を通じて政界での影響力を強めていたので、天皇と貴族との間の力関係の差が徐々に縮まっていったようです。 『神武天皇』の代から長い期間が経つうちに、少しずつ権力基盤がグラついてきた。 このような状況の中で、聖武天皇は伝統的な天皇の権威を再確立しようと、仏教を国家鎮護の手段として積極的に利用しました。 国分寺や国分尼寺の建立は、仏教勢力(大寺院や高僧の人民への影響力)を利用して天皇中心の政治を強化しようとした試みで、同時に地方への影響力を拡大する手段でもありました。 そして、同じ時期(やや過去に遡るが)にもう一つ、ある思惑を持った『神話作成』の話が出ていたのです。 それが…… NEXT『古語拾遺』第3部 日本神話の機密流出事件








対面Session



Amazon



SNS

↑