🔍 古語拾遺の完全訳


白鳳四年、西暦600年代の小花下の記。

日本は飛鳥時代から奈良時代へと移り変わる過渡期にあり、小花下という名の齋部首作賀斯が登場し、祠官の頭に任命された。

担当した御卜みうらの式は、古代天皇が神意を聞きながら政治を行っていた時代を模しており、占いの結果は、政治的な意味合いを持つものだった。
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【原文と直訳】(小花下)

至于難波長柄豊前朝 白鳳四年 以小花下 諱 齋部首作賀斯 拜祠官頭 令掌叙王族宮内禮儀婚姻卜筮 夏冬二季御卜之式 始起此時 作斯之胤 不繼其職 陵遅衰微以至今

かつて 難波長柄豊前朝 白鳳四年に 小花下おかのしたの諱を持つ齋部の首 賀斯として拜され 祠官頭に任ぜられし 王族 宮内の礼儀 婚姻 卜筮を掌り 夏冬の御卜の式 この時に始まる 然れども 作斯の胤 職を継がず 陵遅衰微し 今に至る

テーブルデザインピンク2行 なんか表現が古くありません? 私の頭では、意味がよくわからないです……
このままでは、よくわかりませんよね? 以下は、【原文】の現代訳バージョンになります。
古語拾遺こごしゅうい』第3部 (小花下) 「従五位下」官位 斎部宿禰廣成いんべのすくね ひろなり (奈良・平安時代)

かつての難波長柄豊前朝の時、白鳳四年の節に、小花下おかのしたと申す名の齋部首作賀斯さいべのかみさかし様が、祠官の頭に任命されたとのことです。 この方の任務は、王族の儀式や宮内の礼儀、婚姻の儀式のご準備、並びに卜筮ぼくせき(重要な政治判断を行うための占いのこと)の管理という、王族の公務にかかわる重要な役目でございました。 夏と冬の二季に執り行われます御卜みうらの式は、作賀斯様の時代より始まりました。 しかしながら、作賀斯様のご子孫は、その高貴な職を継ぐことをされず、徐々に齋部の地位は衰え、現在に至るまで低下し続けているのでございます

📼 作者の斎部廣成いんべの ひろなり 一人語り風

私どもの先祖にあたる作賀斯様のときは、偉大なる祠官の頭に任命されたとのことでございます。 しかしながら、作賀斯様のご子孫はその高貴な職をお継ぎになられず、その間に、中臣氏による政治的な妨害の動きもありまして、齋部のかつての栄光は、遠い過去のものとなってしまいましたな。 現在に至るまで、その地位は低下し続けておりまする。

🎓 『古語拾遺』を理解する、分かりやすい解説

白鳳四年、これは西暦673年にあたります。 この時代、日本は飛鳥時代から奈良時代へと移り変わる過渡期にありました。 この時、一人の重要な人物が登場いたします。 その名は小花下おかのしたという名の齋部首作賀斯さいべのかみさかし。 作賀斯は、祠官の頭、つまり祭祀を司る重要な役職に任命されました。 彼の職務は、王族の儀式や宮内の礼儀、婚姻の儀式の手配、そして卜筮ぼくせきという占いの管理など、非常に多岐にわたりました。 特に注目すべきは、彼が担当した御卜みうらの式。 これは夏と冬の二季に行われる重要な占いの儀式で、古代天皇が、「神意を聞きながら政治をしていたとき」のように、占いの結果が政治的な意味合いを持つ、重要なものでした。 具体的には、国家の重要な決定をする際や、災いを避けるために行われたもので、国政を行う上で非常に重要な儀式だったのです。 しかし、彼のみが卓越した天才霊能者であったため、そのような能力を持たなかった作賀斯の子孫たちは、彼の職を継ぐことができず、そのときを境に、齋部の地位は徐々に衰えていきました。齋部の地位はかつてのような重要性を失ってしまったのです。 NEXT『古語拾遺』第3部 氏姓制度








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