🔍 古語拾遺の完全訳
日本最初の成文法典「大宝律令」が制定された時代 文武天皇の治世(在位697年~707年)の話が続きます。 この律令制の導入は、天皇制の『中央集権化』に向けた政治的な引き締めで、日本の政治、社会を大きく改革するものでしたが、文化の面でも『中央集権化』に向けた政治的な引き締めが行われました。 それが、記録文書の作成で…… ・ ・【原文と直訳】(記録文書の作成)
至大寶年中 初有記文 神祇之簿 猶無明案 望秩之禮 未制其式
大宝の年中に至り 初めて記文あり 神祇の簿 明確な案なし 望秩の礼 その式未だ制せず
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なんか表現が古くありません? 私の頭では、意味がよくわからないです…… |
『古語拾遺』第3部 (記録文書)
「従五位下」官位 斎部宿禰廣成 (奈良・平安時代)
大宝年間 におきまして、初めての記録文書が作成されました。 しかしながら、神々の登録、すなわち神社に関する明確な規則はいまだ存在せず、階級を観察するための儀式の形式も、まだ定められておりませんでした。
📼 作者の斎部廣成 一人語り風
この時代には初めての記録文書が作成されましてな。 これは、国家としての公式記録や文書を体系的に整理し、それを保存することの重要性が認識され始めたことを示しております。 しかし、神々の登録…… すなわち神社に関する明確な規則『延喜式』や、階級を観察するための儀式『班幣の儀』の形式については、まだ確立されておりませんでした。 これは、国家としての組織や制度がまだ発展途上であったことを指摘しております。
🎓 『古語拾遺』を理解する、分かりやすい解説
大宝律令は、701年に文武天皇の下で施行された、日本初の本格的な法律体系です。 聖徳太子による「十七条の憲法」をより本格化させたようなもの。 この時代は、天皇制の『中央集権化』に向けた政治的な引き締めが、大々的に行われ、刑法を定める「律」と、行政法や民法を定める「令」から構成されており、合わせて17巻。 飛鳥時代の時、蘇我氏のような強力な一族が政治的な力を強めました。 これらの豪族は、天皇よりも強い影響力を持ち、国政において大きな役割を果たしていました。 この状況は天皇の権威を相対的に弱め、中央の支配権に対して犯行を受けていました。 このような、地方豪族の内乱をおさめ、安定した政治基盤の構築が急務のため、『大宝律令』という中央集権的な制度の法的な枠組みが作られました。 「律」とは、罪に対する刑罰のこと。 五刑(笞刑、杖刑、徒刑、流刑、死刑)や八逆(謀反などの重大な罪)について規定されています。 「令」の部分は、行政組織や租税徴収などの規則のこと。 中央では「二官八省」の官僚体制。地方では「国郡里制」による管理体制が敷かれました。 大宝律令は、唐の律令法制に倣って、日本の実情に合わせて改変されたものですが、このときに『天皇制』に対する強烈な〝権威付け〟が再び必要となり、これが『古事記』や『日本書紀』等、天皇家を中心とした、『神話』を作成することにより、『天皇政治』の正当性を内外にアピールする必要が出てきたのです。 わりと追い詰められていたので、『天武天皇』が危機感を持って改革案を次々と出し、その後に続いた天皇の代で、その計画を1つずつ実現させていったのです。 ・ ・ 大宝年間での記録文書の作成も、天皇制の『中央集権化』に向けた政治的な引き締めからくるもの。 この時期にはまだ、神々の登録(神社に関する明確な規則)が存在してなかったので、まずは、人民に厚く信仰され、人々に功徳を提供している神社の権威を政治に借りようと考えました。 また、側近貴族や臣官の貢献具合も引き締めるため、個人の能力や功績に応じた姓を授け、社会的な地位階級を観察するための報償の儀式も、新たに設けることにしました。 日本の大宝時代の初期における体系的な記録保持は、政治的な危機感に対する行政組織の引き締めと連動していたのです。
『古語拾遺』第3部 神々の帳簿『延喜式』の原形
