🔍 古語拾遺の完全訳


『古語拾遺』



【原文と直訳】(太玉の系統)

至於 小治田朝 太玉之胤 不絶如帶 天恩 興廢繼絶 纔供其職

小治田朝に至り太玉フトタマの胤は絶えることなく 帯の如し 天の恩により 興廃繼絶の間もなく その職を供する

テーブルデザインピンク2行 今回はこれだけ? 短いですね! 意味は分からないですけど……
短くても、意味はよくわかりませんか? 以下は、【原文】の現代訳バージョンになります。
古語拾遺こごしゅうい』第3部 (太玉の系統) 「従五位下」官位 斎部宿禰廣成いんべのすくね ひろなり (奈良・平安時代)

初代神武天皇より始まり、小治田朝の時代(光仁天皇)にいたるまでの、はるかな期間、太玉(神職に関連する氏族)の系統は途切れることなく、帯のように長く長く続けられました。 天の恩恵と奇跡により、神職たちの伝統を、古来のままの形で守り続けることができたのです

🎓 『古語拾遺』を理解する、分かりやすい解説

小治田宮おじだのみや」は、奈良時代に一時的に日本の天皇が居住した宮殿です。 奈良時代(710年から794年まで)は、都が平城京へいじょうきょうにあり、宮殿ではなく都市そのものが首都として定められ、中国の影響を受けた文化や政治システムを取り入れた時期でした。 しかし、時には天災や政治的な混乱などにより、天皇が一時的に他の場所に移ることが、たまにありました。 小治田宮は、そのような例の一つです。 天平宝字2年(758年)に光仁天皇が平城京から小治田宮に遷都しましたが、この遷都は長くは続かず、すぐに元の平城京に戻っています。 「小治田朝」の光仁天皇の次の天皇は、桓武天皇かんむてんのうで、この書の送り先の天皇のため、中臣氏の動きに不穏な変化があった中、最低限の伝統は守られた奇跡を感謝しているのが分かります。 NEXT『古語拾遺』第3部 小花下








対面Session



Amazon



SNS

↑