🔍 日本神話の機密をポロリ『古語拾遺こごしゅうい』の訳


今回は、『古事記』に出てくる昔話 『やまたのおろち伝説』の原形です。

こちらが初期バージョン。そして『古事記』側で知られている神話は、ここから話を膨らませたことがうかがい知れるわけですが、

初期構想の時は、『クシナダ姫』や『お酒飲んでグースカピー』の話はなかったようですね。

すぐ右下の  リンクから、『古事記』の該当記事 に飛べますので、両者を見比べてみると、どの部分をどう変化させたか? わかりますよ。

  ・ 
  ・ 
【原文と直訳】八岐大蛇やまたのおろち 物語の原形)

素戔鳴スサノオ神 自天而降到於 出雲国いずものくに 簸之川上 以 天十握釼あまのとつかのつるぎ 《其名 天羽々斬あめのはばきり 今 在石上神宮 古語 大虵謂之 羽々 言斬虵也》 斬 八岐大虵やまたのおろち 其尾 中得 一靈釼

素戔鳴スサノオ神は天より降りて 出雲国いずものくにの簸の川上に至る 天の十握剣あまのとつかのつるぎを用いて  《その名は天羽々斬あめのはばきり 今は石上神宮にあり 古語では大蛇を「羽々」と言い 「羽々斬」とは蛇を斬ることを意味する》 八岐大蛇やまたのおろちを斬る その尾の中から一振りの靈釼を得る


其名 天叢雲あめのむらくも《大虵之上 常有雲氣 故以爲名 倭武尊やまとたけるのみこと東征之年 到 相模国さがみのくに 遇野火難 即 以此 釼薙草 得免 更名 草薙釼くさなぎのつるぎ 也》 乃 獻上於天神也

その名は天叢雲あめのむらくも《大蛇の上には常に雲気があり 故にこの名あり倭武尊やまとたけるのみことが東征の年 相模国さがみのくににて野火に遭い この釼で草を薙ぎ逃れ 更に名を草薙釼くさなぎのつるぎと改めた》 これを天の神々に献上す


然後 素戔鳴スサノオ神 娶国神女 生 大己貴神オオナムチノカミ 《古語 於保那武智神オホナムチノカミ》 遂就於根国矣

然る後 素戔鳴スサノオ神は国の神女を娶り 大己貴神オオナムチノカミ《古語では於保那武智神オホナムチノカミ》を生む 遂に根の国に就く

テーブルデザインピンク2行 これ八岐大蛇やまたのおろち の物語? どんなお話なんですか?
皆さんがよく知る、『やまたのおろち』という昔話ですが…… 読んでみると、この時代の『原形』のほうは、いろいろ設定が違います。 以下は、【原文】に対する現代訳バージョンになります。
古語拾遺こごしゅうい』第1部 八岐大蛇やまたのおろち 物語の原形) 「従五位下」官位 斎部宿禰廣成いんべのすくね ひろなり (奈良・平安時代)

かつて、素戔嗚尊スサノオノミコトという高貴なる神が、天より降り、出雲国の簸の川上にお着きになりました。 この神は、天の十握剣とつかのつるぎ(別名「天羽々斬あめのはばきり」)をお使いになって、恐ろしい八岐大蛇やまたのおろちを退治されたとのことです。 この剣は、現在、石上神宮にて大切に祀られております。 古の言葉においては、大蛇を「羽々」と申し上げ、その「羽々斬」とは、まさに蛇を斬ることを意味します。 素戔嗚尊スサノオノミコトは、八岐大蛇やまたのおろちの尾より、神々しい剣を発見されました。その名を「天叢雲剣あめのむら・くものつるぎ」と申します。 大蛇の上には常に雲が立ち込めておりました故、この名が付けられたのでございます。   ・    ・  倭武尊やまとたけるのみことの関東討伐の際、相模国にて野火に遭遇された時、彼はこの剣を一振りして草を刈り火から逃れられました。この由来により、「草薙剣くさなぎのつるぎ」と名を改められたのでございます。 素戔嗚尊スサノオノミコトは、この剣を天の神々に献上されました。 その後、素戔嗚尊スサノオノミコトは、国の神女とご結婚され、大国主神オオクニヌシノカミ(古語では〝大名持ちの神おおなもちのかみ〟とも)をお授かりになりました。 そして、根の国ねのくににて、穏やかな日々をお過ごしになられたのでございます。

📼 作者の斎部廣成いんべの ひろなり 一人語り風

非常にアッサリしておりますが、これを見ると分かるように、実は素戔嗚スサノオ様ではなく、『神剣』の方が主人公なのでございます! この時代、とても素晴らしい『霊剣』を譲り受け(神武天皇が東征の最後に、熊野の高倉下殿より譲り受けた横刀、威厳を増すエピソードのために、何か伝説がほしい。そこで……

〝天界追放〟となった素戔嗚尊スサノオノミコト八岐大蛇やまたのおろちという魔物を倒し、その魔物の力の源泉となる『霊剣』を手に入れた。 時代がたち、倭武尊やまとたけるのみことがこの『霊剣』を手にしていたときに奇跡が起こり、『神剣』に格上げされた。

このような話が、急遽作られたのでございます。 素戔嗚尊スサノオノミコト八岐大蛇やまたのおろち退治の話は、とってつけた、架空の話でございますが、それを後の作家が、この原形を元に『やまたのおろち伝説』という壮大な英雄物語として話を膨らませ、それが『古事記』にも採用され、現代の子どもたちも知る有名な『昔話』の1つとなり、今に至るわけでございます。   ・    ・  なお、大己貴神オオナムチノカミとは、正しくは 大名持ちの神おおなもちのかみ (戦国時代の〝大名だいみょう〟の語源)のことを指しまして、出雲国の豪族の王は、古代日本に移り住んできた、『中国の王族』のことでございますな。 大王様である『神武天皇』ほどではないにせよ、強大な権力をお持ちの方だったので、皇太子である素戔嗚尊スサノオノミコトに直接、〝国譲り交渉〟に出向かせたのですが…… 実際のところは、交渉するどころか〝泣いてばかり〟で、しかも〝悪さばかり〟(因幡の白兎の兄)して周りに迷惑をかけて……というのが、事実の方の一連の流れでございます。 ですので、この『古文書』の設定では、素戔嗚尊スサノオ様が、大国主神オオクニヌシノカミの父親…… ということにされてますが、実際には〝大名持ちの豪族の王おおなもちのかみ〟が最初にいて、素戔嗚尊スサノオ様は交渉失敗。 後からヘルプに来た姉上様の時代に『出雲の国譲り』の交渉がまとまったのでございます。

📓 口伝伝承とは何なのか?

皆さんがよく知る、『やまたのおろち』という昔話ですが…… この物語の原形が『古事記』に載っているのは有名な話です。 そして、その『古事記』バージョンでは、『やまたのおろち』の話は〝神剣〟ではなく〝素戔嗚尊〟が主人公になっています。 〝神剣〟の威厳作りのためのオマケだった部分が、後から拡張されて、物語性をアップさせた内容に書き直されているわけですね。   ・    ・  今まで、『古事記』を「神話時代の事実が綴られているモノ」と信じて、一生懸命『古事記』の中身を分析していた人にとっては、ややショックな話かもしれませんが、 そもそも『古事記』の中身は、最初から『神話の記録保存』の意志などなかったのです。 だから『古事記』の中身をいくら丁寧に分析しても、残念ながら、日本の神様の真実は、ほとんど見えてこない。
テーブルデザインピンク2行 なんか驚きの内容なんですけど…… でもなんか、納得もしてる自分もいますね。ああ、やっぱりねって……
今回の『ヤマタノオロチ伝説』を見て分かるように、民間伝承というのは自然発生的には起こらないのです。 頭のイイ、天皇側近の貴族の判断で、仕掛けられているのです。   ・    ・  まずシナリオを書く人がいて、それが完成したら〝村の長老〟を『語り部かたりべ』にさせて、長老が毎日同じ話を村人に話すようにします。 なぜ長老なのか? 一番の長老が語っていれば、昔を知らない若い人は、
嘘も100回言えば真実になる
という作戦に、コロッとやられてしまうわけです。特に若い人がターゲット。 だから、長老から、若い人に対しては、繰り返しこのような話が続きます。
第1段階

 『語り部』の長老に毎日同じ話を語らせ   村の人に周知徹底させる。


第2段階  伝統の維持。この話を絶対に途絶えさせないよう  教育し、伝統を守り継ぐよう圧力をかける

大事な話だと信じ込ませ、「この話は、永遠に語り継がねばならぬ」と教育し、古くからの伝統を守り続けるよう圧力をかける。 最初はたった一人の『語り部』が話し始めた内容も、3代経つ頃には生き証人は誰もいなくなり、誰もがその話を率先して子供に聞かせるようになり、絶対に途絶えさせてはならない『昔から伝わるこの土地の大事な神話』となる。 ここまでいけば、プロジェクトは成功です。
なぜこんなことをしたの? いい物語が出来たから?
『神武天皇』は〝和をもって尊しとなす〟という方針を示すために〝大和〟という言葉を選んだのですが、それは側近や子孫たちにも徹底し、身分制はあったものの、武器による圧政は好みませんでした。 しかし、規律が緩めば、いずれ風紀は乱れます。 地方豪族の反乱も招きます。 ですので、武器ではなく信仰心によって、民を率いていたのです。
ペンは剣よりも強し!
天皇側近の貴族たちは、この方法が『民衆の反乱』を防ぐために有効だと、知っていたのでした。 もし民衆が、目の前の支配者のことを神様扱いで尊敬してくれれば『反乱』の頻度はグンと減ります。 だから、英雄伝説はこれに限った話ではなく、徳川家康だって自分を神と称して、尊敬を集めようとしました。 わりと最近でいえば、ミサイルが大好きな〝北の将軍様〟も、そうでしょう? 将軍様になった途端、英雄伝説が大急ぎで作られ、子供に対しても学校で周知徹底。   ・    ・ 

📓 『古語拾遺こごしゅうい』の方が物語の原形

『やまたのおろち伝説』の内容を見ると、『古事記』の内容に比べて薄い。 練り上げが足りず、偽物感がある。 だから多くの人は、「誰かが何かテキトーなものでも書いたのかな?」 と思うかもしれないですが、逆なのです。 こちらが本物で、『古事記』のほうが偽物。 歴史的絵画で言うなら『モナリザ』のポーズ案を悩んでいた頃の、ダヴィンチのデッサンが〝奇跡的に一枚〟出てきたようなもので、大変な発見なのです! 『やまたのおろち伝説』は、その後、どのように改編を重ねて、あの古事記の形にいきついたのか? 丹念に研究すれば、その過程が見えてくるわけです。

【古事記で追加された部分】 ・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・- ・最初に泣いている両親と遭遇 ・毎年一人ずつ食べに来る(物語性の追加) ・オロチには苔が生え、血の色(ヤバそうな描写の追加) ・八重垣と酒の準備の描写(出雲流派の儀式の追加) ・酒を飲んでグースカピー(大王軍の土雲の逸話から拝借) ・出雲に宮を建てて句を読んだ(教養あるエピソードの追加)

後から追加された部分は、物語性の追加が上手いのです。 明らかに、時代が後の人の改編が見て取れるのですが、『大王軍の土雲の逸話』を拾ってるところを見ると、口伝伝承で勝手に転がったわけではなく『運営側』による公式アップデートなのです。   ・    ・  『古事記』を絶対的に正しいもの! と思い込んでしまうと、こういう矛盾に気づかない。 実際、『出雲風土記』には、〝やまたのおろち伝説〟なんてないのですよ。 『出雲風土記』をまとめた頃の土地の名士たちが誰も知らない土地神話が、後からポンと降りてきてるのです。出雲の地に。 もしも、日本の神様の真実を知りたいと思ったら、『古事記』よりむしろ『カタカムナの訳』のほうなのです。 あちらは、本物の『ご神託』をそのまま書き留めているものですから。 (だから『カタカムナ』のほうは奇跡報告が多数) NEXT『古語拾遺』第1部 先祖の古文書の筆写 その11








対面Session



Amazon



SNS

↑