🔍 古語拾遺の完全訳
『古語拾遺』【原文と直訳】(秦氏)
至於 長谷朝倉朝 秦氏分散 寄隷他族 秦酒公進仕蒙寵 詔聚秦氏 賜於酒公 仍 率領百八十種勝部 蠶織貢調 充積庭中 因 賜姓 宇豆麻佐
長谷朝倉の時において 秦氏分散し 他族に寄隷す 秦の酒公 寵を蒙り 詔により秦氏を集め 酒公に賜わる 仍って 百八十種の勝部を率い 蠶織の貢調を行い 庭中に充積す 因って 姓として宇豆麻佐を賜わる
《言 隨積埋益也 所貢絹綿 軟於肌膚 故 訓秦字謂之波陀 仍 以秦氏所貢絹 纏祭神釼首 今俗猶然 所謂 秦機織之縁也》
《積み埋めるほど益す 貢げられた絹綿は肌に柔らかく 秦の字を波陀と訓じ 秦氏が貢げた絹で神釼の首を纏う 今の俗に続き 所謂 秦機織の縁なり》
自此而後 諸国貢調 年年盈溢 更立大藏 令 蘇我麻智宿禰 檢校三藏 《齋藏 内藏 大藏》
後に 諸国からの貢調 年々盈溢し 大蔵を立て 蘇我 麻智 宿禰に三蔵の檢校を命じる 《齋蔵 内蔵 大蔵》
秦氏 出納其物 東西文氏 勘録其簿 是以 漢氏 賜姓 爲 内藏大藏 今 秦漢二氏 爲 内藏大藏主 鎰藏部之縁也
秦氏が物を出納し 東西の文氏が簿を勘録す 是により 漢氏にも姓を賜わり 内蔵大蔵となる 今 秦漢の二氏は内蔵大蔵の主として鎰蔵部の縁を有す
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なんか表現が古くありません? 私の頭では、意味がよくわからないです…… |
長谷朝と倉朝の御時代に、秦氏は分散し、他の部族に従属する状況にありました。 その中で、秦の酒公様という方が陛下に仕え、寵愛を受けることになります。 酒公様は陛下の命令で、各地に離散していた秦氏を統合する重要な任務を担われ、酒公様には宇豆麻佐という貴い姓が賜われました。 その後、酒公様は絹の織物を作る180種類のグループを率いて、宮廷に美しい布を提供し、庭を満たすほどの成果を挙げられました。 この功績により、各国からの贈り物が溢れるようになり、新しい大蔵という倉庫が作られることとなりました。 蘇我麻智宿禰様が、三つの倉庫(神宝を保管する斎蔵、官物を保管する内蔵、そして大蔵)の検査を命じられ、秦氏がお金の出入りを管理し、東西の文氏が記録を取りました。 このように、漢氏にも特別な姓が与えられ、内蔵と大蔵を担当されることとなりました。 今日、秦氏と漢氏は内蔵と大蔵の主要な管理者として、蔵部の責任を担っておられます。
📼 作者の斎部廣成 一人語り風
秦の崩壊は紀元前206年に起こり、これにより中国は秦朝の終焉を迎えたわけですが、秦朝の崩壊後、中国は一時的な混乱期に入り、その後、紀元前202年に劉邦が漢朝を建国しました。 この時期は、秦の皇帝の血族や高官たちにおいて、重要な転換点であり、多くの政治的、社会的変動がありました。 日本の古代氏族における秦氏とは、彼らの一員、または子孫のことを指すわけですが……。 長谷朝と倉朝の御時代に、秦氏が分散し、他の部族に従属したという記述は、中国の王朝崩壊後の混乱期のことなのか? 日本の地での秦氏の分散と再統合のことなのかは、ここからは分かりませぬな。 文脈から、このどちらかを指すことでありましょうが、あいにく長谷朝と倉朝という名称が、中国にも日本にも見つからなかったのです。
『古語拾遺』第3部 太玉の系統
