🔍 古語拾遺の完全訳
古代の朝鮮半島には、新羅・百済・高句麗の3国家が存在しており、古代から中世にかけて、日本との間には多くの交流がありました。これには外交使節の派遣、文化的交流、時には亡命者の受け入れなどが含まれます。 この文は、飛鳥時代から奈良時代にかけての日本、が朝鮮半島の三国(新羅・百済・高句麗)を圧倒していたことを示しています。 この時期、日本は特に〝百済〟と密接な関係を持ち、百済は日本に対して忠誠を示していました。 特に、白村江の戦い(663年)の後、百済は新羅と唐によって滅ぼされたのですが、その時多くの王族関係者が日本に亡命しました。これにより、日本と百済の間の関係はさらに強化されました。 ちなみに、新羅は7世紀後半に朝鮮半島を統一し、高句麗と百済を滅ぼしました。 ・ ・【原文と直訳】(住吉大神)
至於磐余稚櫻朝住吉大神顯矣 征伏新羅三韓始朝 百濟国王懇致其誠終無欺貳也
磐余稚櫻朝に至り住吉大神顕れる 新羅征伏し三韓初めて朝貢す 百済国の王誠を懇に致し 終に欺くことなく 貳うこともなし
なんか表現が古くありません? 私の頭では、意味がよくわからないです…… |
『古語拾遺』第3部 (住吉大神)
「従五位下」官位 斎部宿禰廣成 (奈良・平安時代)
磐余稚桜朝の時代に、住吉大神の出現がありました。 また、この時代には新羅の征服と服従が達成され、三韓(朝鮮半島の高句麗・新羅・百済)からの朝貢が届くようになりました。 百済(朝鮮半島の南西部)の国王は誠実に忠誠を誓い、決して欺くことや裏切りの心を持つことはありませんでした。
📼 作者の斎部廣成 一人語り風
これは、我が国の力が拡大したことを示しております。 特に、百済の国王は誠実に忠誠を誓い、心からの服従でございました。 この忠誠は、我々の国と百済との関係において非常に重要でありまして、長い間、両国間の信頼関係を築く基盤ともなりました。 朝貢とは、大和朝廷に対しての特産品などの献上のことですな。 大和朝廷への敬意と忠誠の証ですが、いわゆる〝袖の下〟を払うことで、政治的な保護や経済的な特権を受けることも狙いでございましたな。 今までは、地方の豪族支配地から受けていたのでございますが、大和朝廷の力が外国にまでおよび始めたということですな。 偉大な、大日本帝国の始まりでございます。