🔍 邪馬台国の謎を解き明かす『魏志倭人伝ぎしわじんでん』の訳


今回の『魏志倭人伝』の訳と解説は、【第4部】となります。

【原文の構成】

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📺 『魏志倭人伝』の原文と直訳

【原文と直訳】(友好を結ぶ倭王)

景初二年六月 倭女王 遣大夫〝難升米〟等詣郡 求詣 天子朝獻 太守 劉夏 遣吏將送詣京都 其年十二月 詔書報 倭女王 曰

景初二年(西暦238年)六月 倭の女王 大夫〝難升米なんしょうべい〟郡(魏の首都)遣わし 天子朝廷 参上し献上を求めたり 太守の劉夏 役人派遣し 魏の都に送りたり その年十二月 詔書 倭の女王対して曰く


制詔 親魏倭王 卑彌呼

詔を制して 卑弥呼女王殿を〝魏と友好を結ぶ倭王〟として 厚遇せん


帶方太守 劉夏 遣使送汝 大夫〝難升米〟次使〝都市牛利〟 奉汝所獻 男生口四人 女生口六人 斑布二匹二丈’ 以到 汝所在踰遠 乃遣使貢獻 是汝之忠孝

帯方の太守〝劉夏〟使者遣わし 汝の大夫〝難升米なんしょうべい〟と〝都市牛利としくり〟送り 汝の献じし男性四人 女性六人(通訳・要人・特殊技術者など) 斑布二匹二丈ともに到着されたり 女王の宮殿 遥かにありしも なお使い遣わし貢獻せしは 両国友好の証と孝の心なり


我甚哀汝 今以汝爲 親魏 倭王 假 金印紫綬 裝封付 帶方太守 假授 汝其綏撫種人 勉爲孝順

我 女王殿 深く敬愛す 今より女王殿 親魏倭王と冠し 金印紫綬を授け 装封して帯方太守にその位与えん 民 慈しむ最高権力者となりて 賢道を歩まれんと欲す


汝來使 難升米 牛利 渉遠 道路勤勞 今以 難升米 爲 率善中郎將 牛利 爲 率善校尉 假 銀印青綬 引見勞賜 遣還

来使なる〝難升米なんしょうべい〟と〝牛利くり〟は遠路を渉り 道中労苦 重ねたり 今〝難升米なんしょうべい〟を率善中郎将とし〝牛利くり〟率善校尉とす 銀印青綬 授けし 引見してその労を賜り 遣還す


今以絳地交龍錦五匹 ※《臣松之以爲… 注釈部の訳は下部参照》 絳地縐粟罽十張 蒨絳五十匹 紺青五十匹 答汝所獻貢直 又特賜汝 紺地句文錦三匹 細班華罽五張 白絹五十匹 金八兩 五尺刀二口 銅鏡百枚 真珠 鉛丹各五十斤 皆裝封付 難升米 牛利 還到録受 悉可以示 汝國中人 使知國家哀汝 故鄭重賜汝好物也

絳地に交龍の錦五匹 絳地の縐粟罽十張等 汝が献じし貢ぎ物の答礼とす また特に 紺地の句文錦三匹等を贈る これらすべて 難升米と牛利 に装封して渡し 帰国して記録として受けられし これら国中に示し 我が国の汝への絶賛と 素晴らしき宝を贈るを知らしめるなり


《臣松之以爲地應爲綈 漢文帝著皁衣謂之弋綈是也 此字不體 非魏朝之失 則傳寫者誤也》

臣松之(日本側の特使) 「地炎なり」と考え皁衣着て「弋炎」と呼ばれし如く 此の字体を成さず 魏朝の誤りならずば伝写者の誤りなり

テーブルデザインピンク2行 ほえ〜中国語 も 訳 も分からない! もっと分かりやすく解説してほしいです……
直訳のままでは、内容の理解は難しいですね。 以下に【原文】の現代訳バージョンでの説明を用意しましたので、どうぞ。   ・    ・ 
三国志 Records of the Three Kingdoms 『魏志倭人伝』第4書 (陳寿Chén Shòu

陛下、「遥か東方の島国の地」と我が国の過去のやり取りについて、関連史料をまとめあげましたので、恐れ多くも、ここに謹んで報告させていただきます。


景初二年(西暦238年)の六月に、倭の女王が大夫じょうぶ難升米なんしょうべい(南省幣)を長とする使節団を、我が魏の首都へ派遣されたことを、ここに報告いたします。 彼らは天子(明帝)の朝廷に参上し、献上物を捧げる意向であると申し出ました。この申し出は、太守〝劉夏〟を通じて歓迎され、使節団は我が都へと招かれました。 その年の十二月に、魏の天子(明帝)から倭の女王に詔書が下され、卑弥呼女王殿を〝魏と友好を結ぶ倭王〟として、厚遇する旨が宣言されております。 帯方(北朝鮮域)の太守〝劉夏〟は、使者を遣わし、女王の大夫〝難升米なんしょうべい(南省幣)と次の使い〝都市牛利としくり(都市繰り)の使節団を迎え、女王から献じられた特殊技術者の男性四人、女性六人、斑布二匹二丈を受け取られました。 女王の宮殿が遥か遠方にあるにもかかわらず、使節団を遣わしてくれたことに対し、魏の天子(明帝)は両国友好の証と孝の心に深く感謝の意を表しました。 天子(明帝)は、女王殿に深い敬愛の情を抱き、女王殿に 親魏倭王 との名誉ある称号を与えることを決定されました。 そして、その象徴として金印を紫綬で装封して帯方の太守〝劉夏〟を通じて女王殿に届けるよう命じました。 来使である〝難升米なんしょうべい〟と〝牛利くり〟は遠路を命がけで来られた功績が認められ、〝難升米なんしょうべい〟にはより高い地位の率善中郎将を、〝牛利くり〟には率善校尉の称号を与えることが決定され、銀印 と青い綬を渡し、謁見を終えました。 我が魏国からも答礼として、龍などの模様の入った赤い錦や、上質な絹や美しく青い布を、我が国より敬意を込めて贈らせていただきました。 さらに、特別な贈り物として、金八両、五尺の長さを誇る刀2本、銅製の鏡100個、そして真珠と鉛丹をそれぞれ50斤までも贈ることが決定されました。 これらすべてを友好の記録として〝難升米〟と〝牛利〟に装封して渡し、彼らの帰国時に持ち帰らせました。 これらの大変貴重な宝物を、国中の人々に示すことで、我が国が女王をどれほど高く評価し、深い敬愛の念を持っているかを国民に知らしめることとなるでしょう。

《臣松之以爲地應爲綈 漢文帝著皁衣謂之弋綈是也 此字不體 非魏朝之失 則傳寫者誤也》 臣松之(日本側の特使)は、「〝地〟の部分は〝炎〟であるべき」との見解。 かつて漢文帝の黒衣が「弋炎」と誤記された時のように、この文字は正しく形成されてないとのこと。 これは「魏側」の間違いか、筆写した者のミスではないか?

📼 魏の王様の側近 一人語り風

王朝間の『友好関係』につきましては、表面上は国と国の間で結ばれるものと捉えられがちですが、その実態は『君主間』の個人的な絆に深く根ざしております。 そのため、一方の国で『王様が交代』された際には『新王』に対しても改めて友好の意志を確認し合うことが必要とされます。 この際、外交儀礼として、価値ある贈り物や、相手国にとって有益な特上の技能者などが贈られることが一般的でございます。   ・    ・  『邪馬台国』と、[漢委奴国王印]の『金印』が結びつけられている件につきましては、どうも誤解があるようでございます。 我が国は[魏国](三国時代の〝魏〟のこと)ですので〝漢の時代の金印〟とは異なるものでございます。 【金印の文字】

[漢委奴国王印](かんのわのなのこくおう) 漢 → 中国の[漢王朝]から送られた 委 → わこく 倭 やまとのこと

文字からも分かるように、九州の地で畑から見つかった[金印]は、後漢から先代の王(神武天皇)に贈られたもので、漢王朝からの贈り物であることが、ご理解いただけるかと思います。 当時の印は、契約ごとに渡される象徴的なものでありますので、『邪馬台国』に我が国から贈られた[魏国]の金印は、一般に知られている[漢委奴国王印]とは別の存在でございます。

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