🔍 古語拾遺の完全訳


『古語拾遺』



【原文と直訳】(大宰の主神司)

凡 奉幣諸神者 中臣齋部 共預其事 而 今大宰主神司 獨任中臣 不預齋部 《所遺七也》

諸神の奉幣ほうへい(供え物)は 中臣と斎部が共に預かるものなり 然るに今 大宰の主神司は 中臣のみに任せ 斎部を預からず 《これが遺憾の七つ目なり》

テーブルデザインピンク2行 なんか表現が古くありません? 私の頭では、意味がよくわからないです……
このままでは、よくわかりませんよね? 以下は、【原文】の現代訳バージョンになります。
古語拾遺こごしゅうい』第4部 (大宰の主神司) 「従五位下」官位 斎部宿禰廣成いんべのすくね ひろなり (奈良・平安時代)

通常、神事における神々への奉幣ほうへい(供え物)には、中臣氏と斎部氏の両氏族が共に関わるのが伝統でありました。 これは、神々への敬意を示す重要な役割であったため、両氏族にとって大変名誉なことでした。 しかしながら、現在の状況では、大祓おおはらえの主神司の役割は中臣氏のみが担っており、斎部氏はその役割から外されております。 これが七つ目の遺憾な点とされているのです。

📼 作者の斎部廣成いんべの ひろなり 一人語り風

中臣と斎部は古来より同じ神職を共に務め、諸神への奉幣においても、中臣と斎部が共に関わっておりましたのが、現在では大祓いの主神司の役割は中臣だけが担うようになってしまいました。 藤原一族の力が、強まったことによる影響で、彼らの一族への優遇がどんどん進むのを感じるのです。

🎓 『古語拾遺』を理解する、分かりやすい解説

藤原一族の栄光は、カタマリ君こと、中臣鎌足なかとみのかまたりから始まります。 彼は中大兄皇子(後の天智天皇)と共に起こした大化の改新の中心人物でした。 この改革成功により、彼は「藤原」の姓を賜りました。 次に登場するのが、藤原不比等です。息子です。 藤原不比等は、藤原鎌足の子として、藤原氏の地位を強化し、その権力を拡大することに尽力しました。 元々の「中臣」以外の親戚グループは、藤原鎌足の子孫以外は、中臣姓のままだったのですが、藤原氏の影響が強まる過程で、中臣姓の親戚一族も他の氏族との関係がさらに優位になり、神職系の中臣一族による独占的な立場が築かれていったと考えられます。 斎部が語っているのは、この時の変化の様子です。 NEXT『古語拾遺』第4部 諸国の大社








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