🔍 古語拾遺の完全訳


宝亀とは、日本の元号の一つで、西暦700年代。
奈良時代の終わりの時期。

宮内少輔従五位下の中臣朝臣常によって……

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【原文と直訳】(御門に格下げ)

又 殿祭門祭者 元 太玉命供奉之儀 齋部氏之所職也 雖然 中臣 齋部 共任 神祇官じんぎかん 相副供奉 故 宮内省 奏詞偁  將供奉御殿祭 而 中臣 齋部 候 御門 至于寶龜年中 初宮内少輔從五位下中臣朝臣常 恣改奏詞云 「中臣 率 齋部候御門者」 彼省 因循永爲後例 于今未改 《所遺五也》

殿祭門祭は 本来太玉命の供奉の儀で 斎部氏の所職なり 然れども 中臣と斎部は共に神祇官じんぎかんを任じ 相副いて供奉す 故に 宮内省の奏詞には  「供奉御殿祭は中臣が 斎部は御門を候う」と記す 宝亀の年中 宮内少輔従五位下の中臣朝臣常が 奏詞を恣意に改め  「中臣 率斎部候御門者」と言うようになる 彼の省は因循して永く後例となり 今に至るまで未だ改められず 《遺憾の五つ目なり》

テーブルデザインピンク2行 なんか表現が古くありません? 私の頭では、意味がよくわからないです……
このままでは、よくわかりませんよね? 以下は、【原文】の現代訳バージョンになります。
古語拾遺こごしゅうい』第4部 (御門に格下げ) 「従五位下」官位 斎部宿禰廣成いんべのすくね ひろなり (奈良・平安時代)

我が国の歴史における、宮殿や門での祭祀は、元々大玉命フトタマノミコトが担当する儀式であり、斎部氏のみの職務でございました。 しかし、中臣と斎部は神祇官じんぎかんとして共に務め、互いに補助し合う役割を担っておりました。 宮内省の奏詞には、「供奉御殿祭は中臣が、斎部は御門を候う」との記載があるのです。 この慣習は宝亀年間に至るまで続いておりました。 しかし、宮内省の少輔で五位下の中臣朝臣常が、奏詞を独断で変更し、 「中臣が率い、斎部が門で待機する」という形にしてしまいました。 この変更は、その後も続き、現在に至るまで変わらぬ慣習となっております。 これは、歴史的な役割分担の見落としとして、五つ目の重要な点として捉えられているのです。

📼 作者の斎部廣成いんべの ひろなり 一人語り風

神代の昔から、中臣と斎部は共に神事に奉仕してまいりました。 両氏族とも、神々への奉仕においては、遜色のない役割を果たしておりました。 しかしながら、時が経つにつれ、「中臣」の方々だけが、なんとも権力を増してらっしゃるのですな。 他の氏族や、古くからのしきたりを軽んじ、徐々に「中臣」のみに権力を集めているようで、中臣による伝統と儀式の軽視は問題として挙げられます。

🎓 『古語拾遺』を理解する、分かりやすい解説

神祇官じんぎかんは、中央最高官庁(太政官・神祇官じんぎかんの双璧でした。 神事を担当する大切な役職で、神聖な力を持つとされ、一般の貴族よりも高い地位にあり、大きな影響力を持っていたのです。 当時の社会では、神祇官じんぎかんは〝神々と直接関わることができる唯一の存在〟と見なされていて、彼らの行動は国の祭りや宗教行事において、重要な役割を果たしていました。 神祇官じんぎかんの主な仕事は、国の安定と繁栄を神々に祈ること。 これらの儀式は国の重要な行事として、貴族や民衆にも大きな影響を与えていました。 神祇官のトップである神祇伯は、高い地位の官僚で、神祇の祭り、祝部、神戸の名簿、大嘗祭、鎮魂祭、巫女、卜兆ぼくちょうなど、さまざまな宗教行事を統括していました。 この官職は特定の氏族による官職の世襲が行われていました。 これは、神聖な知識と儀式の伝承を保つため、この独占性により、神祇官じんぎかんの特別な地位は、より一層尊敬されるものになっていたのです。 NEXT『古語拾遺』第4部 八位官に格下げ






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