🔍 古語拾遺の完全訳
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『古語拾遺』の原文の構成は、
【原文の構成】
このようになってます。
今回のページは『古語拾遺』の完全訳シリーズの一部です。
ページ単体の訳だけでなく、全体像はどうなってる? と気になったときは、全体メニューか、最初の1ページ目に戻ってみてください。流れが見えると、内容がぐっと分かりやすくなります。
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▶ 古語拾遺の全体解説(第1ページ)
このままでは、よくわかりませんよね?
以下は、【原文】の現代訳バージョンになります。
【序文】 … 奈良の現状を嘆く 【第1部】 … 先祖の古文書の書き写し 【第2部】 … 宮殿建設〜ヤマト政権スタート 【第3部】 … 歴代天皇の治世 【第4部】 … 中臣氏の権力増大に対する警告 【第5部】 … 大国主命と卑弥呼のエピソード 【結び】 … 天皇個人に宛てた結び
【原文と直訳】(諸国の大社)
諸国大社 亦任中臣 不預齋部 《所遺八也》
諸国の大社において 中臣のみが任じられ 斎部は預からず 《これが遺憾の八つ目なり》
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なんか表現が古くありません? 私の頭では、意味がよくわからないです…… |
『古語拾遺』第4部 (諸国の大社)
「従五位下」官位 斎部宿禰廣成 (奈良・平安時代)
各地の大神社の運営(主宮司など)においても、以前は中臣氏と斎部氏が共に協力し、役割を分担していたのです。 しかし現在では、中臣氏のみが重要な責任を担っている一方、斎部はその役割から外れていて、中臣氏への権力集中への不穏な動きが見られます。 これは、国の伝統における八つ目の大きな見落としと言えるでしょう。
📼 作者の斎部廣成 一人語り風
これも、陛下のお耳にぜひとも届いてほしい「中臣」の功罪についてでございます。 他の氏族や、古くからのしきたりを軽んじ、徐々に「中臣」のみに権力を集めているようで、これが私どもには少々心配の種でございます。 中臣による伝統と儀式の軽視が問題として挙げられます。
🎓 『古語拾遺』を理解する、分かりやすい解説
中臣氏は元々、『神武天皇』の側近として活躍した家系です。
その後、天皇側近の役職は、世襲制を通じて先祖の地位を代々引き継いできたので、中臣氏はヤマト政権の頃から代々、天皇祭祀を司る重要な役割を担っておりました。
奈良時代に入ると、中臣氏は徐々に政治的な影響力を増してきます。
それは、西暦600年代に、中臣鎌足(後の藤原鎌足)が登場したのと無関係ではなく、彼は、天智天皇や天武天皇の下で重要な政治的役割を果たし、中臣一族の地位をさらに高めました。
特に、天武天皇の時代には、中臣鎌足は藤原姓を賜り、日本史上最も強力な貴族である藤原氏の祖となります。
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他の氏族や豪族との力関係も大きく変化しました。
蘇我氏は、朝鮮半島からの渡来人で、飛鳥時代の聖徳太子の政権下で、仏教の導入や朝鮮半島(特に百済)との関係において重要な役割を果たしました。彼らは技術や文化、宗教など、多岐にわたる分野で海外の知識を日本に広め、当時の日本に大きな影響を与えました。
蘇我氏はまた、中央政府における重要な地位(大臣職)を占め、天皇家と密接な関係を持っていました。
蘇我氏と中臣氏の関係は、この頃は競合的でした。
西暦600年代には、あまりに力をつけすぎた蘇我氏と中大兄皇子との間で権力争いが起こります。
この争いは、645年に頂点に達し、中臣鎌足と中大兄皇子(後の天智天皇)が蘇我入鹿を討ち、蘇我氏の勢力を大きく後退させました。
この功績により、中臣(藤原)氏の地位が大きく向上し、後の藤原氏の台頭へとつながっていくわけです。
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藤原氏は、他の有力氏族との結婚政策や、天皇家との繋がりを利用して、政治的な影響力を拡大しました。
また、「蘇我氏のような、力をつけすぎる豪族をまた生んではいけない」という対策のため、律令制の下で中央集権体制が大きく強化されて地方の豪族も中央政府の支配下に置かれ、藤原氏を含む中枢貴族の権力は一層強化されました。
そのため、他の氏族を排除し、自分たちの出身母体である中臣一族で脇を固めるようになり、太政官の官職は藤原姓の者が。神祇官は鎌足の元の姓である中臣朝臣姓の者が就き、一番偉い2つの役職を自分たちだけで固めてしまいました。
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中臣金連氏が大祓詞を現在知られている形に改訂したのは、この頃になります。
具体的には、天智天皇の治世に中臣金連が、大祓詞を現在知られている形に改訂したとされています。
中臣金連の改訂した大祓詞は、不変の最終決定版として、中臣一族が率いる全国の神社の宮司を通してその後の日本の神道における祭祀の中核をなすものとなって、その影響力が現代まで受け継がれています。
『古語拾遺』第4部 鎮魂之儀
