🔍 古語拾遺の完全訳
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『古語拾遺』の原文の構成は、
【原文の構成】
このようになってます。
今回のページは『古語拾遺』の完全訳シリーズの一部です。
ページ単体の訳だけでなく、全体像はどうなってる? と気になったときは、全体メニューか、最初の1ページ目に戻ってみてください。流れが見えると、内容がぐっと分かりやすくなります。
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▶ 古語拾遺の全体解説(第1ページ)
短くても、意味はよくわかりませんか?
以下は、【原文】の現代訳バージョンになります。
【序文】 … 奈良の現状を嘆く 【第1部】 … 先祖の古文書の書き写し 【第2部】 … 宮殿建設〜ヤマト政権スタート 【第3部】 … 歴代天皇の治世 【第4部】 … 中臣氏の権力増大に対する警告 【第5部】 … 大国主命と卑弥呼のエピソード 【結び】 … 天皇個人に宛てた結び
【原文と直訳】(太玉の系統)
至於 小治田朝 太玉之胤 不絶如帶 天恩 興廢繼絶 纔供其職
小治田朝に至り太玉の胤は絶えることなく 帯の如し 天の恩により 興廃繼絶の間もなく その職を供する
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今回はこれだけ? 短いですね! 意味は分からないですけど…… |
『古語拾遺』第3部 (太玉の系統)
「従五位下」官位 斎部宿禰廣成 (奈良・平安時代)
初代神武天皇より始まり、小治田朝の時代(光仁天皇)にいたるまでの、はるかな期間、太玉(神職に関連する氏族)の系統は途切れることなく、帯のように長く長く続けられました。 天の恩恵と奇跡により、神職たちの伝統を、古来のままの形で守り続けることができたのです
🎓 『古語拾遺』を理解する、分かりやすい解説
「小治田宮」は、奈良時代に一時的に日本の天皇が居住した宮殿です。
奈良時代(710年から794年まで)は、都が平城京にあり、宮殿ではなく都市そのものが首都として定められ、中国の影響を受けた文化や政治システムを取り入れた時期でした。
しかし、時には天災や政治的な混乱などにより、天皇が一時的に他の場所に移ることが、たまにありました。
小治田宮は、そのような例の一つです。
天平宝字2年(758年)に光仁天皇が平城京から小治田宮に遷都しましたが、この遷都は長くは続かず、すぐに元の平城京に戻っています。
「小治田朝」の光仁天皇の次の天皇は、桓武天皇で、この書の送り先の天皇のため、中臣氏の動きに不穏な変化があった中、最低限の伝統は守られた奇跡を感謝しているのが分かります。
『古語拾遺』第3部 小花下
