📓 『カタカムナ』 全80首の意味−第78句の解説
『カタカムナ』第78句 『神様が仕掛けた謎』も次々と答えが明らかになり、 『物語の仕上げ』として、とうとう最後のまとめに入りました。 今回は、人生において最大の謎とも言える、人生のテーマが明らかになっています。 神様の教育法は『果報は寝て待て』ではなく、自分で相手をなぎ倒し、この手で勝利をつかみ取る『体育会系』というのが、だんだんわかってきましたが、神様によると、人生は全て、たった一つのテーマしかないそうです。 それはいったい何なのか? ……その答えがこの句に載っています。『カタカムナ』 全80首の意味−第78句の解説
📓 【原文】『カタカムナ』 第78首【漢字に直すと?】ヤマトヒネ フトヤ フミトメ トロミハユ フナトメ フナミ カエシコト カムナガラ…… アメノ フナフミ オホナミヒメ アメノウヅメヒメ ハニヤギ ウヅメ カムナガラ…… オキツ フトマ ハシフトヤ ユマリネギ
『カタカムナ』 第78首 -=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-🔎 【この句の意味は?】山斗 貧根 太矢 富留め 泥身は湯 船留め 船見 還し事 惟 神…… 天の船富み 大波姫 天の雨詰め姫 葉に山羊雨詰め 惟 神…… 沖津 太間 橋 太矢 湯鞠 根木
『カタカムナ』 第78首 -=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-試練の大きさこそが、巨木に育つエネルギーとなる…… 何か、『武道』や『仕事』にも通じる考え方ですね。 神様の教育法は『体育会系』……。 とはいえ、人は皆、『勝利者』の結果の方しか見えないモノ。 その勝利の裏に、どんな努力があったのか? 勝者と敗者を分ける差は何だったのか? そこに焦点を当てているのが、今回の句です。豊かな山々も ゼロの立場から 矢のようにのしあがった 勝者や富豪にとって 下積みは 成功の薬湯 船着き場や 海岸にすら近寄れない 危険な大波…… その『人生訓』を神が解説しよう… 天の言う『豊かな宝船』とは? 荒れ狂う大波・止まない長雨・作物の不作のことを言う 神が意図することは…… 離島に橋をかけることは、困難に立ち向かう難工事。 しかし、試練の大きさこそが、巨木に育つエネルギーとなるのだ。
豊かな山々も ゼロの立場から 矢のようにのしあがった 勝者や富豪も 最初は泥にまみれていた。下積みのまま、終わってしまっては意味がないわけですが、成功のために大切なことは何か? 以下は、神様本人による解説です。 ここからは、神様からアナタに向けたメッセージとなります。 ・ ・神様の説く、成功のために大切なことは?
神が解説しよう。 人はつい、楽な方に流れがちだ。 『宝くじ当選』とか『万馬券』とか、大好きな言葉だろう? だが、スポーツの世界で勝者となる者の条件は、『高い目標』と普段の『練習強度』だ。 『楽して成功したい』と思ってる者たちとは、対極の考え方となる。 試合結果には『運の要素』も入ってくることは、過去に述べたとおりだが、そうはいっても、元の実力が拮抗してなかったら、『運』以前の問題。瞬殺されて終わりだ。 普段の練習もまた同じだ。 優勝を本気で狙うチームは自分たちだけではない。 そのようなチームが、周りにいくつも存在する中で、強豪を倒し続け、最後まで勝ち残る。 そのためには、普段の練習強度の高さが求められる。 練習量ではない。練習強度だ。ハイレベルのトレーニングメニューだ。 勉強も仕事も、ドコの世界も同じだろう? 人生は全て、たった一つのテーマしかない。 『自己修練』 ある者はそれを〝勉強〟と言い、ある者はそれを〝練習〟と言い、ある者はそれを〝修行〟と言う。 人生は全て、何をやっていても、ドコにいても、たった一つのテーマでしかない。 ・ ・ だから、自分を高めてくれる目標の高さ、強力な対戦相手の存在、仕事の責任の大きさ…… これらは全て、歓迎すべき『イベント』なのだ。 ゲームだってそうだ。なんの張りあいもなく、楽勝ばかりでは、『ぬるいゲーム』と感じるだろう? 手応えのある『強敵』にギリギリで勝ってこそ、面白いだろう? 時には相手にやられて『リトライ』もあるだろう。だが、それでいい。 連戦連勝のゲームなど、『ぬるいゲーム』でしかないのだ。負けもまた、人生だ。 現実味のある人生を生きるとは、そういうことだ。 ・ ・ 『山』のように見える成功者になりたいなら? 貧相な根から、成功者としての『根』に変えること。 光に向けて飛ぶ太矢は『富』を獲得する。 皆があこがれるのはそちらだろう。 だが、泥のような身もまた『薬湯』であると知ることだ! 天の指す『豊かな宝船』とは? 困難のことを指す。逆に思えるだろうが、神からの視点ではそうだ。 試練の大きさが、それに立ち向かう、おのれの努力や強さにつながる。 神から見れば、その乗り越えた先の姿こそが、『人に与える宝』なのだ。 だが、案ずることはない。 『結局は努力か……』とガッカリしてる者を救うのが『カタカムナ』ではないか。 『カタカムナ』は人を救うために降ろした秘法。 ただし、神に会う『間の術』は、『かんながらの作法』が先だが。 ・ ・ 先の句でも示したが、裏切っているのは神ではない。神は道を示した。 運命や可能性を裏切ってるのは、人の方なのだ。「棚からぼた餅」のように、何もせずに結果だけほしいと。 『カタカムナ』 全80首の意味−第79句の解説