📓 『カタカムナ』 全80首の意味−第61句の解説


『カタカムナ』 全80首の意味−第61句の解説


『カタカムナ』第61句は、
『その土地に起こる災害の理由』を解説しています。

災害といえば、『自然現象』のはずですから、〝災害の理由がある〟と言われてもあまりピンと来ないと思いますが……

『カタカムナ』を降ろした神様によると

その土地の災害の理由は、その土地の『○○○』にある
のだとか…… 『伏せ字の3文字』は、一体何が入るのか? 答えを聞くと、予想を超えた驚きの内容です。 一体何が書かれているのか、ご覧ください!   ・    ・ 

。 『カタカムナ』第61句の解説

『カタカムナ』 全80首の意味−第61句の解説   📓 【原文】
 。 『カタカムナ』 第61首 

アマ アワナギ ハヤアキツ ヨモツチカヘシ  ヤホ ウツシツミ カシラハラ

 【漢字に直すと?】
  『カタカムナ』 第61首 

あま 沫那芸神あわなぎ 早秋津はやあきつ(秋の入り口の時期)世も土返つちかへ八百やほ 写し罪 頭腹かしらはら

 🔎 【この句の意味は?】
  『カタカムナ』 第61首 

アマアワナギ (大型台風レベルの暴風雨のこと) 秋の入り口の時期ハヤアキツ世も土もひっくり返すヨモツチカヘシような 災害 (家屋崩壊、水害)が起こったときは それは、その地域の統率者の腹黒さの写し罪ヤホ ウツシツミ カシラハラ

※ 初期は橿原かしはらの地に宮殿があり   平城京に都を移すまでの後代の天皇は、その地で政治を行っていた、   火山噴火はともかく、大型台風レベルの暴風雨は……? 【神様の独り言】

統率者は、人格者でないと、天の怒りで災害がもたらされる。 その地域の一般の住民のことではない。統率者のことだ。

テーブルデザインピンク2行 個人への罰としては、スケールが大きすぎでは? 個人の罪が、地域全体の連帯責任ってこと?
一体どういうことなのか? ここからは、神様本人による解説です。 いつものように、【原文にない補足解説】をどうぞ。   ・    ・ 

。 『カタカムナ』第61句・神様本人による解説

その地域の災害は、統率者の腹黒さの写し罪…… そう言われても、現代の者にはピンと来ないだろう。 だが昔の者たちは、このような話は誰もが知るところだった。 だから、大きな災害が起こるたびに、皆は口には出さないが、内心「統率者のせいでは?」と思っていたものだ。 特に、昔の天皇ほど、この事実を知っていたから『人格者』になろうとしていたぞ。 記録に残る災害と、時の天皇の名前を突きあわせてみるがいい。 偶然とは思えない、相関関係が見られるぞ。 だから、外国の国王や皇帝と違って、おのれの権力を振りかざさず、比較的質素に過ごす天皇も多かったわけだ。 そうでない傍若無人も何人かはいたが……。   ・    ・  個人レベルでも、『悪いことをしたら、お天道様が見ているよ』と言われていただろう?
天は本当に見ているのだ。全て天には筒抜けだ。 心の内側までもだぞ
ただ、「聡明潔白でなければならぬ」と言ってるわけではない。 多少の悪さなら、子供のイタズラと同じように、愛嬌だ。 あくまで譲れない部分のみの話だ。   ・    ・  神にとって、譲れない罪とは何か?
他人の権利を奪い取ること』
それは、生命であったり、財産であったり、行きすぎた権力乱用であったり、分け前であったり……。 その人の存在そのものが、他の人にとって著しく不利益になる場合は、『警告ランプ』が点灯する。 これが一番大きいが、それと同時に
『不幸に生きる』
これもまた罪なのだ。 意外に思うだろう? だが…… この世に生まれてきたなら、明るく楽しく過ごしてほしい。 外から見たイメージと違うかもしれないが、神はまつりごとやにぎわいが大好きだ。 活気がある街、賑わう店、派手な神輿みこし担ぎ、祭りで踊りながら、楽しくバカ騒ぎする民衆…… いいではないか! もっと人生を謳歌するがいい!! それは個人も同じだぞ。明るく楽しくほがらかであれ!
暗く沈むな! 悩みや心配事は罪だ。 暗く絶望的な心は大罪だ!! 今すぐ改めよ!
  ・    ・ 
テーブルデザインピンク2行 ではなぜ、困った私を助けてくれないの? そうならないよう、助けてほしいのに…
神は助けているぞ! そなたではなく明るく楽しく生きてる者のことを!!   ・    ・  『カタカムナ』の話からは逸れてしまうが、この記事も神が教えて書かせたこと。 神様から教わった 幸せになるための、神頼みの仕方 神様から教わった 幸せになるための、神頼みの仕方 あの話は本当なのだ。神の本音が書かれている。 だから、今不幸に感じている人は、あのやり方を通して自分の人生を明るくさせ、神に好かれる者になってほしい
神に救ってもらいたいなら、〝今の自分のまま救ってもらいたい〟ではなく、まずは自分の穢れ(問題点)を祓うことが先なのだ!
『カタカムナ』で言う〝禊ぎ〟 とは罪穢れだけではない。   アウノスヘシレ カタチサキ…… 神に歓迎される状態の者が会いに来てこそ、神に会うことができ、願いも叶うというモノだ。 NEXT『カタカムナ』 全80首の意味−第62句の解説




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